第37話『ガラスの手を持つ男』

Joetip2005-12-02

ハーラン・エリスン脚本、バイロン・ハスキン監督、ロバート・カルプ出演というドリーム・チームによるハードSFアクション。最高傑作と言うと異論があるかもしれないが『ウルトラセブン』における『第四惑星の悪夢』に相当するシリーズ中もっとも先鋭的かつスタイリッシュな作品であることは確か。撮影のケネス・ピーチはB級専門のようだが、ここでは暗さを強調した映像が美しく、音楽もいつものとは変わって、物憂げなジャズピアノみたいな音楽を全編に渡って使用している。


トータル・リコール
男(ロバート・カルプ)が夜の街をさまよっている。彼は追われていた。自分が何者なのか、何故狙われているのか、何も思い出せない。
「誰かが私の記憶を消し、私を殺そうとしている。なぜだ、お前は誰だ。」しかしこれまで彼は数々の難局を乗り越えてきた。「そしてわが‘手’からなすべきことを教わった。」彼の左手=「ガラスの手」は高性能コンピューター搭載の義手であった。手袋を外すとガラス細工の手が現れる。その手は人差し指、中指、薬指が欠けていた。
ガラスの手に問う。「君が何をするべきかといえば、次の通りだ。A・追跡者がつけている黄金のメダルを奪うこと。B・一度に2名の時間旅行を可能にするタイムミラーがある。それを破壊すること。C・とにかく生き続けること。鍵は‘手’を修復することだ。D・‘指’が全部揃えば君を助けられる。」
こうして彼はわけも分からぬうちに行動に出なければならなくなる。記憶を失くしたとはいえ、彼の身のこなしは特殊訓練された者のそれだった。追跡者を捕獲すると、新たな事実が判明した。
彼の名はトレント。追っ手はカイバン星人、彼らはトレントの‘手’を狙っていた。すでに指3本はカイバン星人の掌中にあった。「私に分かるのは、君が未来の地球に生きる最後の人間だということだ。」また、カイバン星人が首からぶら下げている黄金のメダルは、時間収束器であり、トレントもまた首から下げていた。これを取られると、瞬時に元いた未来に引き戻されてしまう。「タイムミラーはどこだ?」「商業地区のディクソン・ビルだ。」それだけ聞くとトレントはメダルを引きちぎった。星人はパっと消えた。


「ゲーム」
今から1000年後、カイバン星人が襲来し人類は1ヶ月で制圧された。だが一夜にして700億人の人類は忽然と姿を消した。そして彼、トレントただ一人が残されたのだ。人類の行方を知る「ガラスの手」を託されて。1000年前の過去に逃げてきたトレントを追って、人類の行方を探るカイバン星人たちもまたこの世界へやってきたのだ。「君は人類最後の希望・・・だが‘手’はカイバン人に部品を奪われ計算能力が不十分だ。奪われた‘3本の指’を取り返し、カイバン人の意図を探れ。なぜ君だけが1000年後の地球に残されるのか、その理由を探れ。」
そして巨大な廃墟のような「ディクソン・ビル」へやって来た。だがこれは罠だった!「ようこそトレント君、我ら一同待っていたよ。」ビルの周囲にはすでにバリアーが張られていてもはや袋の鼠。しかしトレントは前に進まなくてはならない。1000年後の人類を救うために。そして自分は何者なのかを知るために・・・。

冒頭でこの物語のお膳立てがすべて出揃う。トレントは3本の指をゲットしなければならない。隔離されたビルの中で、立ちはだかる相手を倒し、指を奪う。そのたびに新しい情報が手に入り、能力も向上する。そして最後の指は最上階にある敵の本拠地にあり、指を奪った上に「タイムミラー」を破壊すれば「あがり」だ。
はっきり言ってこれはゲームである。66年の段階でこれだけゲーム性の高い映画というのは希少。かなりの先進性である。ゲーム性といえば、メダルの発想も面白い。時間旅行は自然の摂理に反しているので、自然は過去に戻った人間を絶えず元の時間に戻そうとする。ちょうどバンジージャンプのゴムみたいなものである。それを引き止める「重し」がメダルなのだ。これをとられると、アっと言う間に未来に引き戻されてしまう。これは筋が通った理論だ。しかしそんな大事なものをなんで引きちぎってくださいと言わんばかりに首からぶら下げているのか?と突っ込まれたら、ゲームだから、としか言いようがない(笑)。トレントもそれをぶら下げているわけで、同じリスクを背負っているわけだからフェアであるとは言える。


ブレード・ランナー
この物語は全編ビルの中で展開される。このビルの意匠を見て、どこかで見たことがあるような・・・と思う人が多かろう。古い、バロックだかアールデコだか判別がつかないようなゴテゴテとした装飾過剰ともいえる内装。巨大な吹き抜け、テラスから突き出した印象的なエレベーター・・・実はこれはあの『ブレード・ランナー』でハリソン・フォードルトガー・ハウアーが死闘を繰り広げた場所と同じところ=「ブラッドベリー・ビル」*1でロケしているのだ。この建物はロサンゼルスにあり、1895年築という非常に古いもので、現在でも現役で使用されている。今も『ブレラン』詣での観光客が後を絶たないという。実際、トレントカイバン人との戦いぶりは『ブレラン』を彷彿させる。エレベーターも効果的に使われているし、ちゃんと屋根裏部屋もでてくる(「ブレラン」では鳩が舞っていたが、こちらはマネキンの群れ。スタンリー・キューブリックの『非情の罠』か?)。窓から外の壁にへばりつくシーンもある(遠くには街のネオンが・・・雨は降っていないが)。ハーラン・エリスンはこの作品を以って、ジェームス・キャメロンを訴えたのだが、ハードボイルドなテイストと言い、全体の印象は明らかに『ブレード・ランナー』であり、彼はリドリー・スコットも訴えるべきじゃないのか?まあ別に余計なお世話ですが。
で、たまたま逃げ遅れた薄幸の女(アーリン・マーテル)と一緒に足引っ張られたり、援護されたりしているうちに恋が芽生えたり、指が増えても小出しにしか情報を与えなくてイライラさせたりと、もう最後まで引っ張る引っ張る。「なるほど、それは分かった。じゃあ○○はどこにあるんだ?」「それはもう一本指がないと分からない。」こんな調子・・・(-_-;)
そして「あがり」になった時、想像だにしなかった衝撃の結末が訪れるのであった。この結末は現代でも通用するんじゃないかな。はっきり言って、うまい!としか言いようがない。そしてラストシーンには、今のアメリカ娯楽映画が失ってしまった「暗さ」「苦さ」がある。