『トゥモロー・ワールド』

は良い映画。早く行かないと上映が終わってしまう。観ないと多分損をする。
冒頭のロンドンの大通りの雰囲気が、現代とあんまり変わらない、けどちょっと違う、しかし人心の荒廃が決定的に進んでいる、ということを瞬時に説明する。この絵作りは只者ではない。そこで勃発するテロ爆弾はこれまでの映画にはなかったリアルさと絶望がある。
世界中で子供が生まれなくなる。ティラノザウルス号は出発したのだろうか?それはともかくとして、子孫が存在しなくなる、それで世界中に暴動が起こっているようなのだが、本当にそうなるだろうか。むしろみなジャスパーのように静かに終末を待つのではないだろうか、大体騒乱を起こす理由がないじゃないか、と思うのは私が『幼年期の終わり』や『渚にて』などを読んでいた世代だからで(つまりこの映画でのジャスパーの世代)、実際こういう事態になったら無理にでも諍いの種を作り出して殺し合いを始めるかもしれない。筒井康隆氏がエッセイ(『狂気の沙汰のも金次第』か?忘れたが)でもし人類の滅亡が決定的になったら、残された人類は残された可能性を奪い合って殺戮の限りをつくし、わずかな救いの可能性も摘み取ってしまうだろう、というニュアンスのことを言っていたが、まあ人間なんてそういうものなのだろう。
しかし子供云々がなくとも、将来こうなりそうだということは、我々も監督自身も分かっていることだろう。世界の一部の国ではこれはもう現実の世界だ。アンドレイ・タルコフスキーが、黙示録はもう始まっている、チェルノブイリに住んでいた人たちにとって世界の破滅は来たも同然だ、というニュアンスのことを言っていた(うろ覚えでごめん)が、この映画を観て震撼するのは、荒唐無稽な設定にも関わらず、どう見てもこれは未来の話じゃない・・・とほぼ本能的に感じ取ってしまうところだ。
この映画でマイケル・ケイン扮する「ジャスパー」が忘れられない。彼は若いころ「リベラル」であった。「ラブ&ピース」な人たちが将来こうなるんじゃないかと最も怖れていた世界、それがこの映画の世界である。愛も共同体もなく、寛容の精神もなく、信頼も無く、非寛容と暴力の渦巻く世界。彼は隠遁して60、70年代の音楽とアートに囲まれて生きている。この50年間、リベラルは無力だった。ジャスパーは「信念」について語るが、弱肉強食を是とするグローバリズムの信念の方が勝っていた。ジャスパーは暴力に対して最後の抵抗を試みるが、その姿が泣ける。
「子供」はこのむき出しの欲望と暴力の蔓延するこの現実の世界に対抗する、それにとって変わる思想信条の象徴なのだろう。それが何なのか、この映画は語らない。多分ものすごく単純なことなのだろう。兵士がそれを見た時、戦いが一時停止する。しかしあまりにも小さなものゆえ、戦闘はすぐまた始まる。今は弱小なものでも、荒波の中で、人々に影響を与えるほどに育てることが出来るだろうか。
最後の海に浮かぶ小船の映像も良かった。思想やストーリテリングだけでなく、映像表現にセンスがある。なんとなくテオ・アンゲロプロスの映像に似ている。ラストの小船は『シテール島への船出』を思い起こさせる。娯楽版アンゲロプロスといってもいいかもしれない。