『ブラック・サンデー』いよいよ劇場公開

1977年、傑作の呼び声が高く大ヒット間違いなしと言われながら、爆破予告のため劇場公開が突如中止となり、今日に至っていた『ブラック・サンデー』が、30余年の時を経て「第二回 午前十時の映画祭」の一環として劇場公開となります。

http://www.tohotheater.jp/event/asa10/series2.html

さっそくTOHOシネマズ府中へ行ってみました。DVDではもちろん観ていますが、やはり迫力が違う。
演出は言うまでもなく緻密かつ骨太で、アヴァンタイトル後のスタジアムに落ちる飛行船の禍々しい影を観てるだけでもゾクゾクする。というか最初から「この飛行船がこれから暴れまわります」と宣言しちゃってるわけでまったくすごい自信だ!
ここぞというシーンでは長回し、また空撮が多い。ワンテイクで終わるわけもなく、そのコストを考えると監督の本気度が分かる。最初の方の少佐が黒い九月のアジトを襲撃するシーン、空を飛ぶ飛行船と地上のスタジアムの中を歩く少佐をワンシーン(しかも空撮)で捉えたシーンなど、無謀とも思える撮影を敢行している。
前半、イスラエル側のカバコフ少佐と、アラブ側のダーリア、ランダーの相互の駆け引きの積み重ねもいいが、後半の異常な盛り上がりは大胆な空撮とジョン・ウィリアムズの音楽と演出とが相まってもう神がかっていると言っていい。ジョン・フランケンハイマーはマジで凄い監督だ!

何を考えているかよく分からない爬虫類的なロバート・ショー、信念先行で強引かつ大胆な行動のマルト・ケラー、ブチ切れ寸前ブルース・ダーン(迫真の演技、ほんとに頭おかしいと思った)など、それぞれ性格描写も明快で、三者三様の内面が浮き上がってくる演出も良い。
映画はカバコフとダーリアをコインの表と裏、またはお互いが鏡に映った自画像のように描いている。アジト襲撃の際、鉢合わせするシーンがあり、その時の顔のアップ(これがラストで繰り返される)がそのことを示している。少佐の相棒がダーリアに殺されと、今度はダーリアの上司が少佐に殺されるといったようにお互い同じような事象が起こる。お互いに大義のない、不毛な戦いを延々と繰り返している、ということを暗に指摘しているのだろうか。
また、マルトとダーンの二人に注目すると、結局二人にとって「黒い九月」の大義は最終的には関係がなく、疎外された者たちが抽象化された「世間一般」に復讐せんと破滅的な行動に出るアメリカンニューシネマ的存在であったのではないか、と思う。一応「モサド」と「黒い九月」の対立ということになっているが、画面で見る限り、カバコフ、ダーリアといった個人の戦いのように見える。二人の間に愛はあったのか、と問われればあったとしか言いようがない。

クリント・イーストウッドの『ガントレット』のクライマックスシーンにあやかって言えば、小屋を穿った無数の穴は、二人への「祝砲」と言えなくもない。

劇場で観てて発見してしまったのだが、クライマックスで飛行船に撮影のヘリの影がチラと映っていた。


ブラック・サンデー [DVD]

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