第33話『38世紀から来た兵士』

Joetip2005-11-23

新シリーズになっていきなり「SF界の暴れん坊」ハーラン・エリスンの脚本。


地球のタイムスリップ
荒廃した大地が果てしなく続く殺伐とした世界、太陽の光も射すことはない。殺人光線の光が間断なく飛び交うだけ。世界は2大国家に真っ二つに分かれて果てしない戦争に明け暮れていた。認めたくはないが、これが38世紀の地球の姿だ!「・・・この兵士の名はクワロ、生まれた時から国家に訓練され、愛情も温もりも知らない。敵を殺すことだけを目的に育てられた・・・」そう、彼は正に戦うためだけに生まれてきた男、究極の戦闘マシーン!リーサル・ウェポン

こんな設定は今日日それこそ掃いて捨てるほどあるわけですが、これはその先駆けではないか?これまでのシリーズのものと比べて気がつくのは、娯楽性が高まって展開がスピーディになっていること、細部のこだわり方である。

未来の兵士はローマ時代のようなコスチュームなんだが、そのヘルメットからは絶えず「殺せ、殺せ、殺せ・・・」と繰り返す声が聞こえる。「司令部」から流しているらしいが、洗脳の手法である。これには防音装置が施されていて、余計な音は聞こえないようになっている。はずされると(ものごごろついた頃からかぶっているので)極度の不安に陥り暴れだす。彼は同じような格好をした「敵」と取っ組み合いをしている内にタイムスリップ(仔細は省く)!60年代のアメリカの市街に忽然と姿を現す。いきなりの登場に騒ぎ出す市民。ここで彼が持っていた銃を乱射したら『世界の中心で愛を叫んだけもの』そのものなんだが、お茶の間にそんな映像を流すわけにもいかないので、パトカー1台溶かしただけで警官に取り押さえられ、軍の「精神異常者収容所」に送還される。この正体不明の男を調査するために、当局から言語学者ケーガン(ロイド・ノーラン)が派遣される。軍人でもエージェントでもない、武道の心得のないおっさんが究極の戦闘マシーンに対峙するわけである。


野生の少年
ケーガンは彼の話す言葉が極度になまった英語であることを突き止める。名はクワロ(マイケル・アンサラ)というらしい。「話すスピードが速く、俗語を多用しています。」これは実際そうなってますね。この時代の映画の英語は私でも聞き取れるくらいちゃんと文法に則って一語一語発音していますが、70年代からだんだんスラングが多くなって、最近のアメリカ映画の英語は全然聞き取れません。アクション映画だともうお手上げです。40年の間にアメリカの英語もだいぶ変化していると思います。

持っているレーザー銃は「バラバラに分解したが、動く部品は3個しかない。部品を半分にしても動く」らしい。これは構造が単純なので壊れにくいカラシニコフを連想しますね。
ケーガンはクワロとサシで粘り強く教育しようとする。絵を見せて「犬だ、イ、ヌ。」とか初歩的な言語から始める。時には怒鳴りあい、殴られたりする。

最初、凶暴だったクワロはそうするうちにだんだんケーガンに心を開いていく。このように野獣のような人間を一から教育する、というシーンを見ると自然と心が和んでくるのはなぜだろう?過去のこうした題材の映画、『野生の少年』『奇跡の人』『カスパー・ハウザーの謎』、人間ではないが『ホワイト・ドッグ』などが思い浮かぶ。思うに「教育」というものの原初的な喜び、のようなものを目の当たりにするからだろうか。日本では今学校というと、学校に行きたくない人が急増しているとかろくな話を聞かないが、世界の大部分を占める貧しい国ではむしろまともな教育を受けたくとも受けられない子供たちも多いと聞く。本来教育というものは「権利」であり、知ることとは喜びであり、学問というのは面白いものであるはずなのだが、実際はそううまくいっていない。


ターミネーター
相変わらず頑ななクワロだが、「お前は敵じゃない。」と言い、ヘルメットなしでも平静でいられるようになったので、ケーガンは彼を自分の家(妻、一男一女)にホームスティさせようと思い立つ(無謀だ!)。とうとう自宅へ招いてしまったのだが、家族総出で出迎えられたクワロは、初っ端からとんでもない行動をする(これはネタバレになりそうなので記述は控えるが、観たら爆笑必至)。
で、小学生の娘と男の子ともなんとかうまくやっていくのだが、こういうシーンを見ているとリメイクするとしたら、クワロ役は体格といい、憮然とした表情といい、その裏に垣間見える優しさといい、やはりシュワルツネッガーが適役だろうなと思う。ジェームス・キャメロンがこの作品に強く引かれたのも無理もない。

また、ケーガンは彼との対話から38世紀の恐るべき現実を知る。未来のアメリカは北朝鮮みたいな全体主義国家に成り果て、兵士は人工子宮で次々に「生産」される。クワロもそうした両親を知らない人間だった。命令が全てであり、人格は否定されていた。

そんなドタバタをやってるうちに、別の場所では例の「敵」もタイムスリップしていた。彼は探知機で自分の相手を探してさまよっていたのだが、ついにクワロを探知した!クワロの方はこの世界にすっかり馴染んで勘がなまっていて気がつかない。あやうし!ケーガン一家!

と、今のハリウッド映画だったらここからが見せ場なんですが、そのノリでこの後を見てしまうと肩透かしを食らってしまいます。実際今だったらこれまでの展開はサワリでしかないだろう。しかし特撮の発達していなかった当時、やはりSFと言えどもドラマ重視であり、今とは視点がまったく違っていたというべきである。
ジェームス・キャメロン監督の『ターミネーター』が登場したとき、エリスンは「俺のパクリだろが!」とキャメロンを告訴(世に言う「ターミネーター裁判」)。後に『ターミネーター』のクレジットに原作としてこの作品と第37話『ガラスの手を持つ男』(すごい傑作)を付け加えることで和解した。