『ゾディアック』

はいい映画だった。とてもヒットするとは思えないので早めに劇場へ行ったほうが良い。
歳を取ると、「スパイダーマン3」のようなやたら画面が動く映画がしんどくなる。目が疲れる。その上つまらないとなると無性に腹立たしくなる。こういうまったりした映画をワインでもちびちびやりながらのんびり観る方が性に合うようになった。
デビッド・フィンチャーについては、もう『セブン』の監督というフィルターは外して見たほうが良いのではないか。明らかに才能がある人なので、いつまでも『セブン』の呪縛があるのは気の毒である。もっと色んなジャンルをどんどん撮って経験を積んでいただきたい。
この映画も『セブン』的猟奇殺人を期待すると戸惑うことになる。むしろ『ゲーム』『ファイトクラブ』などに窺える趣味の悪いブラックユーモア、フィンチャー監督特有の底意地の悪さ、とでもいうものを歯の鈍痛を我慢するがごとく堪能する映画である。
第二の犯行である白昼、犯人(素人臭い変装)とカップルをとらえた中途半端な構図は笑いをとろうとしてるとしか見えない。微妙な空気が流れる。反面、実際犯行に及ぶとリアルさを感じて余計に怖い、ということになる。
こういう空気は犯人のラジオ出演、後半の容疑者との会見、地下室でのやりとりでも垣間見える。こわい演出をしながら内心楽しんでいるのではないか。地下室のシーンは正直ワロタ。
マンガみたいな顔をしたギレンホールが主人公なのでなおさらそう感じる。彼は今で言えばオタクである。イラストレーターでいつもチェック柄のシャツを着ていて、酒も飲まない、タバコも吸わない、おそらくバクチもしないと思う。子供は3人いるが、奥さんはメガネっ娘である(それがどうした?)。
彼はこの事件にのめり込んでいくがその見返りはなにもない。ただ知りたいという欲求のみで突き動かされていく。自腹で独自調査を始め、その過程で色々なものを失っていく。彼が最後に真相らしきものにたどり着いた時にとった行動・・・犯人を問い詰めるとか、警察に引渡すとか、そういう勇ましいものとはほど遠い・・・そのささやかな行動についつい共感してしまう。あーあるある、という感じ。やはり俺もああいうタイプの人間なのかと再認識し、妙な気分になった。

また、60年代から70年代にかけての時代考証が念入りで素晴らしい。CGなんでしょうが・・・『三丁目の夕日』のようにこれ見よがしでなくあれだけ出来るというのはやはりアメリカならでは。年月の移り変わりで内装が変化していく新聞社の屋内セットもいい。