『七人の侍』を観る

最初に見たのはTVだった。いつ観たのかは覚えていない。その後80年代にニュープリントで映画館で見る。確か有楽町の日比谷スカラ座だったと思う。その時、聞きしに勝る迫力にやはり感銘をうけたものだ。それ以来観ていない。なんとなく黒澤映画をTV画面で観るのは気が引ける。それで「まちえい」で黒澤特集をやるということを聞いて、これを機会に観にいくことにしたのだ。しかしそれが映画館「まちえい」の閉館の日になろうとはその時夢にも思わなかった。
この映画についても今更言うべきことはあまりないが、驚くのがストーリーが実に単純だと言うことだろう。「七人の浪人が野武士から農村を守るために戦う。」ほんとにそれだけの話だ。それで4時間近くあるのだが、ほとんど一つも退屈なことはない。今だったら、敵側にかつての戦友がいて敵ながら天晴れとか、浪人が何故戦うのか悩むとか、一人の女をめぐって浪人二人が争うとか、どうでもいいようなエピソードを付け加えそうだが、そんなものはない。
一応社会背景や、人間関係を問うエピソードはある。かなりインパクトが強い有名なシーン・・・勘兵衛がこの米、疎かにはすまいぞ、と言うシーン、菊千代が農民のずるさを力説するシーン、菊千代が赤ん坊を抱えてこの子は俺だ!と叫ぶシーンなどなど、それらは驚くほど短い。ホントにあっさり終わる。利吉と攫われた妻のことなど結構引っ張れるエピソードだが、状況だけで瞬時に観客に理解させる方法をとっている。燃える館のシーンだけで、ああやっぱり利吉は独身だったんじゃなくて、妻を野武士に攫われ、野武士の統領に無理やり貞操を奪われた妻は利吉に合わせる顔がなく、自ら炎に身を投じたのか・・・ということをセリフなしで観客に理解させるのである。菊千代が元農民で孤児だったことも下手な監督だったら回想とかつけてくどくど解説するだろう。そもそも七人がそれぞれ結局背景のわからない正体不明の人たちである。勘兵衛からして正体不明である。分かっているのは、皆負け戦ばかりしていることだけで、過去の事は語らない。
このように、最低限度の情報しかなく、核心を突いたシーンはほんの一瞬なのになぜにこれほど上映時間がながいかと言えば、戦略と手続きに全然手を抜いていないからである。
農民が腹の減っている浪人を探す手続き、勘兵衛が浪人を試験する手続き、農村に入ってからは、いかに野武士を攻略するか、周囲の要塞化から、敵の侵入経路、一騎づつ入らせて集団で攻略するやり方、などなどがまったく手抜き無く丁寧にくどくどと説明される。極めつけは、敵の人数を○で並べて殺したら×付けると言うことを、ホントに殺すたびにやっている、など、とにかくその人の過去とか心の内面のことはともかく、現実に起こっててやるべき事は、すべて余すことなく描きます、ということが徹底している。
あんまり今の映画はくわしくないが、大抵の映画は逆で、人間の内面をくどくど描きたがる、いや描くのが義務だと思ってしまうのだ。で、戦っている相手との距離や位置関係が全然分からない映画を撮っているのである。
戦いの事実関係をくどくど描いているので、不思議な話だが、先に言った、ちょとしたセリフや行為に深い人間洞察を感じてしまうのである。意地の悪い言い方をしてしまうと、こうした手法は黒澤だったからできたことで、他の監督はやろうにも予算がなくてとても出来ないであろう。非常に贅沢な映画なのだ。それゆえ映画館の大画面で観るとホントに至福の時間に思えてしまうのだ。