2月13日、市川崑監督が亡くなってしまいました・・・

ヘビースモーカーにして肉好き・・・それでいてここまで長生きしたのはやはり仕事に遣り甲斐があったからだろうなあ。いろいろ思うことがある、もし、角川春樹が市川を監督に抜擢していなかったらどうなっていたのか、評論家受けするそこそこの監督で終わっていたのか、いや金田一シリーズが作家としての可能性を縮めてしまったのではないか、現に金田一以降の作品はひどいものじゃないか、とか。

黒澤明が存命中、黒澤と市川と比較して市川の方がエライのではないか、と思ったことがある。黒澤監督はものすごいインパクトがあるが、本数は少ない、ジャンルも偏っている。とにかくわがままばかり言って進行は遅れるし、スタッフキャストに無茶な要求をして散々な目にあわせたり、色々面倒な人である。市川監督はお仕着せの企画でも飄々として引き受け、本数も多く、しかも粒揃いの良作を量産し、温厚な性格で皆に慕われている。娯楽映画なのに高い作家性がある・・・どう見ても市川の方が格上ではないか、とどうでもいいことを考えたものだ。
市川監督が偉大なのは言うまでもないが、なかなか掴みどころのないというのも事実である。


「市川監督に今こそ正当な評価を」
http://www.varietyjapan.com/news/movie/u3eqp3000002wcqd.html

それは、黒澤監督と市川監督との作風や作品の浸透の違いが大きいと思う。市川監督の作品は、黒澤監督にできたようなアクション(時代劇)、あるいは人間ドラマといった明確な区分けはできない。彼の活躍が目立った50年代、60年代の作品は、実に多岐にわたるジャンルのオンパレードで、一つの枠に括ることなど、全くできないからだ。

 またその時代の作品自体が、黒澤監督のように幅広く見られていることがないし、そもそも40数本(50〜60年代)という作品数が評価を曖昧にさせる。つまり、その時代の作品に関し、一部の貴重な専門家の仕事を除いて、いまだきちんとした評価がされていないのが実情なのだと言っていい。たから今回、表面的な礼賛はあるだろうが、それは作品に即した具体的なものではなく、かなり抽象的なものに終始するに違いない。
 

アニメーター市川崑の経歴
http://slashdot.jp/~YuiTad/journal/430791


スポニチに市川監督が描いたミッキーマウスが載っていたが、彼の細かいカットはやはりアニメーターの経験からなのだろうか?アニメは効率的な編集が要請されるから、あり得ることかもしれない。アニメでは長回しという発想は生まれにくい(押井守が『BD』で擬似長回しを行っていたが)。そうなると庵野秀明はさらにその演出を取り入れ、アニメの技法はさらに発展する・・・という入れ子構造なのか。しかしその後のアニメ出身者の実写映画は悉く失敗してるし・・・やはり市川監督本人の資質か?


さっきTBSで放送していた新判『犬神家の一族』を漫然と観ていたら、ラストシーンだけ旧版と違うんだな。金田一が一人さびしげに後ろ向きに田んぼの道を歩いている・・・チャプリンの『モダンタイムス』のラストシーンのように・・・そして金田一は観客の方をちょっと向いてすまなそうに会釈して去っていった。

なんでも藤子F不二雄さんが亡くなった時にTVでのび太がさよならと言って去っていくTVが放映されたという都市伝説があるそうだが、まさにこれは同じものではないか。汽車の予定が組めなかっただけかもしれないが(いややはり覚悟していたのだろう、90歳だものなあ)、監督がファンにさよならと言っているようで悲しい気持ちでいっぱいになりました。