想像を絶する地獄が日本に現出する!

新装版 戦中派不戦日記 (講談社文庫)
日本沈没』と言うぬるい映画を観た後、思うところがあって山田風太郎の『戦中派不戦日記』を読んでいる。興味深い出来事の連続だが、特に昭和20年8月14日の日記には涙を禁じえない。

十四日(火) 晴

(略)・・・・
この弱点を衝くには、今後十年とは言わない。僕の信じるところでは、あと三年戦いつづければよい。これはほとんど確信を以っていうことができる。
日本人はもう三年辛抱すればよいのだ。もう三十六ヶ月、もう一千日ばかり殺し合いに耐えればいいのだ
敗北した時を思え。
皇室の存続は疑問である。それ以上に、不敗の歴史に瑕をつけ、永遠の未来にその痕跡を残す。さらに百年たってもなお幕末の日本以下の日本たらしむべく徹底した外科手術が施されるであろう。
敗北直後の状況こそ悲惨である。
吾らの将軍は戦争犯罪者として断頭台上に送られるであろう。数百万の兵士は、敵の復興工事に奴隷として強制就役せしめられるであろう。婦女子は無数に姦せられるであろう。軍備はすべて解除され、工業はことごとく破壊されるであろう。
勲章も、国債のあらゆる国家的契約も、憲法も法律もことごとく一片の反故と化し、一個の玩具と変ずるであろう。
南洋、太平洋諸島、ビルマ、マレー、昭南、支那、台湾、満州、蒙古、朝鮮、樺太はすべて失い、そこから追い返された日本人は、さなきだに人口過剰の本土に加わり、あたかも盆上の蝗のごとくひしめきあい、恐るべき飢餓地獄に陥るであろう。
衣食足って礼節を知る。働けど働けど天文学的賠償金のために吸いあげられて、餓えすさんだ国民に、芸術などは遠い天上の童話となる。国宝などは勿論戦利品として敵に奪い去られるであろう。
実に想像を絶する地獄が、狭い日本に現出することは火を見るよりもあきらかである
これを思えば、あと三年の辛抱が何であろうか?
誇りを以て熱汗をしぼる。三十六ヶ月が何であろうか?
原子爆弾に対しては、徹底的に山岳森林に全国民にを分散し、死物狂いで深い壕を掘ればよい。
ソビエトに対しては、満州北支に残る軍民を総動員し、死力を極めてこれを釘づけにすればよい。さなきだに対独戦の傷いまだ癒えぬソ連である。何とていま本格的に、日本との持久戦に残存国力を消磨しつくすに耐えるであろうか。
B29の爆撃のみならば、右の疎開分散により、三年は保ち得る。
もしアメリカ軍百万本土に上陸し来れば、これぞ全日本人の熱願する神機ではないか。一億がそののどぶえに喰らいついても、これを日本の土の餌食たらしめる。
いまや米本土に日章旗のひるがえるなどは夢想にしても、この上に和議成れば、日本人の誇りは全地球上にとどろき、日本の歴史は子孫の胸に、また外人の心に、それぞれ刻印を打たずには置くまい。
あと千日耐えよ。血と涙にむせびつつも耐えよ。
それがー日本人の糸がきれかかっている。政府の腰が今や砕けようとしている。
何という恐るべき馬鹿々々しさだ。渇して毒薬を飲むがどとき狂気の沙汰ではないか。
食いとめなければならない。日本人をしてなお戦争を継続させなければならない
それは不可能のことであろうか?
僕はそうは思わない。
それは出来る。僕は日本人を信頼する。
・・・・・(略)

筆者は当時23歳の何の権力もない学生さん。昭和20年代にして、山田氏はこの戦争についてかなり客観的な分析をしており、今なら誰でも分かるアメリカの優位、日本人の弱点も認識していた。日本の敗北を予感していた筆者だが、いよいよ追い込まれると敗北を認めることができなかった。
その後日記は小説風になって、下宿内の友人と国民を奮起させるために俺たちが立ち上がろう!という話になる。で、飯田市を組織するとか、扇動する、とか勇ましい激論を戦わせるのだが、だんだんトーンダウンしてきて何も決まらないついに夜が明けてしまう。