日韓摩擦と『48億の妄想』

48億の妄想 (文春文庫)

48億の妄想 (文春文庫)

世の中、嫌韓ブームらしい。今の若い人にはこれは新鮮なことなのだろうか?それにしてもなぜ筒井康隆の長編デビュー作『48億の妄想』が注目されないのか不思議である。書店行って見たら、筒井氏の文庫スペースもあんまりないし、もう過去の人か?
『48億の妄想』は1965年に発表された。当時破竹の勢いだったTV業界の行く末を描いた小説であるが、その舞台設定は日韓の武力衝突であった。
50年代より韓国は日本海の公海上に「李承晩ライン」(これが諸悪の根源、ウィキペディアが詳しい)引き、これより先、外国の漁船が通ることまかりならんと(かなり一方的に)通告していた。当然、日本の漁船、船舶との衝突があとを絶たなかった。「拿捕」という言葉が連日新聞の紙面を飾り、日本人を拉致、果ては銃撃され死者すら出た。この当時、韓国と日本は戦争をしているようなものだった。
おまけに李大統領は独裁的な政治を行い、国民の生活は貧しく、民主主義の浸透は大いに遅れた。彼がクーデターで殺された後に就任した朴正熙大統領はこれまた独裁者のイメージで、かの悪名高い「金大中事件」(映画『K.T.』参照)を引き起こし、まあ70年代まで韓国にいい印象を持っている日本人はほとんどいなかったであろう。ともかく小学校低学年のわたしでも「だ捕」と「KCIA」という言葉は覚えてしまった。
『48億の妄想』はそんな時代背景にマスコミは異常な権力を持った存在となっている社会を描いた。日本の至るところにカメラが設置されている。警察の監視カメラではない。TV局がどんな事件も逃すまいと、全国隈なく見張っているのだ。国会、大企業も例外ではない。政界も、財界もTV局には逆らえなかった。国民は、街頭に設置されたカメラを意識して、自分をTVに取り上げてもらおうと、常に演技をしていた。強制ではなく、自らTVのホームドラマの登場人物のような振る舞いをしていたのである。
そして日韓の協議がついに決裂する。マスコミはまさに値千金のチャンスとばかり、韓国との「戦争」を煽り、この戦争を「演出」しようと画策するのであった・・・。
後半は物見遊山気分の芸能人や業界人が紅白歌合戦みたいな派手な出陣式の後、しょぼい漁船(手元に本がないのでなんという名前か忘れた。ものすごく面白い船名だったと思う)で日本海へ出航するのだが、この後とんでもないことになるのであった。
それにしても当時、韓国人と日本人との殺し合いを描いた小説を書いたことには驚きを禁じえない(一応ドタバタコメディだが)。
皮肉なことだが、小説発表同年に日韓漁業協定が締結され、日韓関係は激変した。今、この小説を思い起こすと、もう一つのあり得たかもしれない現実(または来るべき未来か?)を観ているようである。

当時、筒井氏はマスコミによって人々の価値観が決まってしまう社会をよく取り上げたが、すっかり実現してしまったどころか、小説を上回る世界になってしまった。短編『俺に関するうわさ』なんて今読んだら普通の話に見えてしまうのではないか。