逝ける人を偲んで

映画監督のリチャード・O・フライシャー氏が3月25日に亡くなられた。89歳だった。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
不思議な映画作家だと思う。キューブリック論やフェリーニ論、ジョン・フォード論、さらにスピルバーグ論さえよく見聞きするが、フライシャーを論じる人はあんまりいない。フライシャーは明らかに偉大な映画作家だった。しかしどこが?と言われるとどうにも説明し辛い。キューブリックを論じる人はたくさんいる。作風に特徴がありすぎる。その作品には「キューブリック印」が刻印されている。人はその印を見出しては喜ぶ。左右対称とか、移動撮影、狂気、暴力描写、洗脳など・・・。そういう特徴を維持できるのが天才の証なのであろう。そうなると、フライシャーは彼とは対照的な天才と言えるだろう。
フライシャーは何でも撮った。もう何が得意なんだか分からないくらいだ。『ミクロの決死圏』『バラバ』『センチュリアン』『スパイクス・ギャング』の間になにか関連性があるのか?
また歴史に残る作品も撮ったが、凡作も撮った。とりあえず観た範囲で言うと、演出のトーンが皆同じ?起伏がない?いや、というより各シーンについて温度差がないと言った方がいいかもしれない。普通に人が歩いているシーン、人が殺されたりモノが破壊される劇的なシーンも同じエモーションで撮っている・・・そんな感じだ。
それを普通は「凡庸」と呼ぶだろう。しかし40年以上の映画人生で同じトーンを貫いたとしたら、それも才能であろう。言い換えれば、すべてのジャンル、各シーンが平等の重みを持つ映画を撮ったのだろうか。すべてが等間隔、球形のような映画、まさにそこには「映画」しかないのでないか?

『ソイレント・グリーン』のDVDはフライシャー自身による音声解説が入っていて、謎めいた彼の人となりが垣間見られる貴重な盤である。思想的には西海岸的リベラリストで、本当に真面目な人という印象である。もう80歳過ぎていると思うがしっかりした口調で丁寧に説明している。当時流行したデザスターSF映画の一つに過ぎないが、丁寧な演出、丁寧な演技指導がなされているのが分かる。



「本物の涙だ・・・。チャールトンはこの映像に感動している設定だが・・・本当はエディ(エドワード・G・ロビンソン)を思って泣いていたんだ。これが彼の遺作になると・・・。エディとの共演を思い出しながら泣いていた。」