第41話『ロボット法廷に立つ』

アメリカの地方都市(セントルイスらしい)の郊外、リンク工学博士は研究所内で首の骨を折って死んでいた。そこに居合わせていた博士が作った人間型ロボット、「アダム」が博士殺害の容疑で連行される。アダムは学習し、自発的に話すことができ、感情すらあった。外見は金属だが、ほぼ人間に近かった。博士の姪のニーナ、新聞記者のエリス(レナード・ニモイ)はアダムの冤罪を訴えるが、警察は廃棄処分を強行しようとする。そこでエリスは友人で、かつてはスゴ腕弁護士だったが今はすっかり人間嫌いになり隠遁生活を送っていたターマン・カトラー(ハワード・ダ・シルヴァ)に頼み込んで法廷でこの問題に決着をつけようとする。


このH・D・シルヴァがいい。がっしりした体格、柔和ではあるが、これまでの苦労をにじませる顔の皺、いつもパイプを手離さず、法廷でもポケットに手を突っ込んで歩き、権威など物ともしない姿勢、いかにも酸いも甘いもかみ分けた老練な紳士である。この頃まではこういう感じの味のある俳優が結構いて、脇を締めていたのだが今はとんと見当たらない。強いて言えばショーン・コネリーか?いや、ちょっと違うな。
彼は赤狩り(またか!)でブラックリストに乗って仕事を干されたこともあるので、今回の役どころは彼の人生とシンクロしているのだろう。
また、レナード・ニモイは、知的で偏見のない、それでいて自分の新聞の売り込みも怠らない現代的で明朗な若者を演じている。


カトラーの面談から、アダムが怪力ではあるが、人に危害を加えない優しい性格であることを知る。彼はアダムの証言からこれは事故だ!と確信するが、ロボットに偏見を持つ証人の証言はアダムに不利なことばかり。しかもその怪力が周囲から恐れられる。カトラーは孤軍奮闘するが・・・。この辺の展開は『アラバマ物語』を連想させる。実際この話が黒人差別を下敷きにしているのは明らかだろう。
実際、この作品の法廷シーンは本格的(被告がロボットであること以外)で、難しい法律用語もポンポン飛び出す。さすがベン・ブラディは『ペリー・メイスン』を手がけているだけのことはある(あんまり見てなかったが)。

一般にキリスト教圏では人型ロボットは敬遠されている、と言われる。人間が神に似せて作られた以上、人が人に似せて作ることは許されない・・・。ゴーレム、フランケンシュタインの怪物、西洋の人造人間は皆、悪魔の所業か、悲劇に終わる。どれだけ信憑性があるか分からないが、ロボット開発における日本の人型ロボットのこだわりようを見るとそうかなとも思う。この作品でも、アダムは誕生時から家政婦や出入りの業者から悪魔でもみるような目で見られる。このような宗教的な偏見も視座にいれているとしたら、当時としては勇気のいることだったろう。