大山登山

水木しげる記念館に篭った翌日、早朝から中国地方の最高峰、大山(だいせん)へ登る。大山といえば鳥取県民の心の拠り所、霊山であり、伯耆富士とも呼ばれ、ガイナックスのデビュー作『八岐大蛇の逆襲』の舞台ともなったという大変な山である。去年は今ごろは雹が降っていたそうだが、今年は前線がうまい具合に南下し快晴、というか夏のように暑い・・・。
米子駅からバスで約40分で大山寺口へ。近いな〜。麓には立派なビジターセンターがあり、大山寺参道は土産屋が並び、結構活気があるようだった。参道では朝から女子高生があちこちで油絵を描いていた。
登山道は急な上に岩のかけらが道を覆っており、砂利道を登っているかのようである。5合目あたりから広がるブナ林がすごい。ブナも巨木が多く、東北のものと引けをとらない。2時間ひいこら言ってる間に8合目から剣が峰を始めとする、大山の特徴であるいわゆる「アルプス的山容」が姿を現す。1700m級の山ながら、この迫力はただものではありません。さらに1時間で山頂に近づくと、目が痛くなるよう鮮やかな緑のダイセンキャラボクの大集落が広がる。山頂(弥山、1709m)は中学生の集団もいて、ものすごく混んでいました。山頂は群生を傷つけないように渡り板になっている。
最高地点剣が峰1729mまでは行けない。かなりの崩落が始まっているのだ。大山アルプスは遠くからだと堂々たるものだが、間近に見るとちょっと触ったらサラサラと崩れてしまいそうな、砂の山のように見える。なにせ草木一本生えていないのだ。聞けば2000年の鳥取西地震で崩落は加速し、標高すら変わってしまったとか。
大山はこのままどうなるのか?
昭和60年代まで、今入れるこの山頂は禿山と化していた(センターに写真があったが、それはすごいものだった)。これを放っておけば土壌は流失し、崩落が始まる。しかしその後の大勢のボランティアによる緑化運動により、山頂に緑が戻ってきている。数種類の蝶があちこちを飛んでいた。シジミ、タテハ、アゲハの類か?よくわからないが5,6種ぐらいいた。すごい数だなと素人は思うが、実は昔はこんなものじゃなかったようだ。

かつて数千種の昆虫が生息しており、昆虫の宝庫と言われた大山は今、昔の面影は全くない。この40年間で種類数、個体数ともに激減した。中でも蝶類の激減ぶりは凄まじいものがある。
スキー客の減少を食いとめようと中の原、上の原のスキー場を一面の芝生に変えた結果、7,8月の草原を埋め尽くすほど群れていた各種ヒョウモンチョウ類はほとんど姿を消した。桝水原下部の湿原は乾燥し、かつて大山を代表する草原の蝶として知られたウスイロヒョウモンチョウモドキを始め、多くの絶滅危惧種が滅びた。中国地方特産で、アリの巣の中で育つクロシジミやゴマシジミの中国亜種など、特異な生活様式を持つ小型蝶たちも見られなくなって久しい。(旺文社『大山・蒜山高原』)

そういえば、禿山時代の写真でも、写っている登山者は結構楽しそうなのだ。実情を知らなければそんなものであろう。何年か前マリンダイビング誌で読んだ記事だが、沖縄本島周辺の海は復帰前、海水より魚の方が多かった、といわれるくらいの豊富な生物がいた。だが今や当時の10分の1にまで激減しているという。それでもダイビングで都会から来た人々はその海の美しさに驚嘆してしまうのだが。自然破壊の深刻さははパっとみただけでは分からないことが多いのだ。