剱岳登山
- 出版社/メーカー: フジテレビジョン
- 発売日: 2009/12/11
- メディア: DVD
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8月14日から16日の日程で、剱岳に登ってきました。以前から登りたいと思っていたものの、あまりのハイレベルな噂に躊躇したのですが、『剱岳 点の記』のヒットに便乗して決心しました(安直すぎる・・・)。これからいっちょ行ってみるかと思っている方に、どんな所か大雑把にでも掴んでいただけたら幸いです。
まず山の麓までたどり着くのが大変なんです。大糸線の信濃大町駅から扇沢の立山黒部アルペンルート入口までバスで40分。扇沢からトロリーバス、ケーブルカー、ロープウェー、トロリーバスと乗り継いで、立山登山の入口である室堂平まで待ち時間含めてざっと3時間。料金は片道ざっと7000円。各駅には売店が充実しているので退屈はしません。黒部ダム観光もできます。黒部ダムでは映画『黒部の太陽』のDVDでも特別に売ってないかと思いましたが、そんなものはありませんでした。
さらに室堂平から剱岳麓にある剣山荘までざっと4時間かかります。地図を見ると簡単にに見えますが、途中に「雷鳥坂」というのがあって、坂と言いつつ高度差500mあるので、実際には一山超える勢いです。剣山荘に着くころにはヘロヘロになっています。
剣山荘は収容人数250人の大きなもので、ほぼ満員。清潔で快適な山荘です。それにしてもここにいるほぼ全員が明日、剱岳に行くと思うとなぜか不安が募っていく。
剣山荘にある「仲間たち」のサイン色紙。左から木村大作、浅野忠信、香川照之、仲村トオル、(なぜか)野村真美。(敬称略)
『マイマイ新子と千年の魔法』
- 出版社/メーカー: エイベックス・ピクチャーズ
- 発売日: 2010/07/23
- メディア: DVD
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このアニメには数々の「死」が描かれている。それは唐突にやってきて唐突に知らされる。その死は画面の表には出てこない、それゆえ恐ろしくリアルに感じる。リアルな死と対照的なアニメで描かれる生(大抵の場合『遊び』として描かれる)、それを結びつけるのが金魚(唯一、死が絵として描かれる)というのがうまい。うまいといえば演出はほぼ完ぺきにうまい。水面を下から見るシーンが繰り返し出るがこれも質感がよく、特に金魚が泳いでいるのを下から撮ったシーンは、夜の美しさと相まってゾクゾクと鳥肌が立つほどだった。懐中電灯の光もいい。
- 出版社/メーカー: キングレコード
- 発売日: 2009/05/13
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- 作者: 星野 之宣
- 出版社/メーカー: 潮出版社
- 発売日: 1996/03/13
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パソコンを買い替えたので(ボチボチながら)再開します。
休止のお知らせ
パソコンがこの猛暑でぶっ壊れましたので、しばらく休止します。
『サマーウォーズ』
をDVDで観た。
よくできた話で、いい映画だとは思うが、第一印象はとにかく「薄い」ということだ。薄いというか軽いというか、細田監督は押井、宮崎に続く日本アニメを背負って立つ人材だと聞いているが、こんな毒のない健康的なアニメでいいのかと思ってしまった。
どうでもいいことだが、この監督のキャラデザイン、妙に手足がだらんと長い、線の細い造形が好きになれない。はっきり言って気持ちが悪い。まあ好みの問題だろう。
大家族をテーマにしていながら皆いい人というものどうなのか。万作、万助を初めとするそれぞれのキャラは面白いのだが。侘助という曰くありげな人物が出てきて(大家族となれば一人や二人は問題人物がいるもの)、期待させる。しかし家族から疎まれていながら犬だけは尻尾を振ってじゃれて来るという演出で最初から「実はいい人」という了解を取り付け、務めて観客を不安にさせないような配慮がなされている。これは丁寧な演出と言えるのだろうか?
侘助登場から花札のシーン、おばあさんの「今、ここで死ね!」までのシーンがこのアニメの演出のピークだった。侘助が悪びれもせずちょろまかした金で開発したウィルスのことを嬉々としておばあさんい話すシーンがいい。あたかも飼い猫が主人に褒めてもらいたくて狩ったネズミを居間にズラっと並べてびっくりした主人に怒られる・・・という猫飼いにはありがちな体験を連想させる。この悪意のなさ、無邪気さが、彼の異常さを表現していて出色のでき。まあそれもおばあさんの死を知ってあっさり方向転換てのもなんか予定調和だなあと思う。90近いのだからいつ死んでもおかしくないし、ウィルスによって被害が彼女の健康にも及ぶことくらい予測できそうなものだが。
総じて日本の田舎の大家族のドロドロ人間関係を描くには、細田監督はいい人過ぎたのだろう(最初からそんなの描くつもりはなかったって?えー!)
そもそもアニメなのに派手な絵がないというものもどうなのか。クライマックスの探査機墜落のシーンもひどくあっさりしていている。普通ああいうシーンはアニメーターの腕の見せ所で、爆風や家屋の崩壊を丹念に描くと思うのだが、どう見ても興味がなさそうである。クレーターの俯瞰すらない。
というか派手な絵は撮らないと言う芸風らしい、やはりアニメ界の小津や成瀬を目指しているのだろうか。それにしては人間洞察がそんなに深いとも思えないのだが。というか女の子にチューされて鼻血ドバーって昭和40年代のアニメかと思いました。
とは言うものの、いろいろ苦言を呈したが、難しいことを考えなければ楽しい映画であることは間違いない。
- 作者: 手塚治虫
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 1996/06/01
- メディア: 文庫
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第49話『あついすな』における演出技法の考察(その2)
手抜きなのではなくて、おそらく詩のようなマンガを創りたかったのだろう。詩的と言っても絵の上に詩が載っかってるようなものじゃなくて、絵にしても、言葉、セリフにしても、極力少ない表現でより多くより複雑なことを語ろうとしたということである。
アルファさんが「タカヒロたちが水着持ってないなんて気がつかなかったわ、どうしよう・・・」とかセリフで言えば簡単だが、そうすると全体のトーンから見て興ざめなのは明らかだ。セリフも絵もギリギリの表現しかしなかったら、後は何が残っているかと言うと、人物の表情や仕草くらいしか残っていない。読者は、人物が何を考えているのか、今何が起こっているのか、人物の表情を通して類推するしかない。
実際このマンガはほとんどがそういうパターンなのだが(セリフも文章もないエピソードすらある、また特定の人物が出ずっぱりという事情もある)、これって相当な画力がないとできないのではないだろうか。その時その時で人物の表情を微妙に変えなければならないのだから。
この49話では自動車を運転している時のアルファさんの表情が行きと帰りで大きく変わっており、このふたコマを比べるだけでセリフで語らずともこのエピソードのテーマを感じ取ることができる。
こういうとそんなの漫画家として当たり前ではないかと思われるかもしれない。しかしちょっと手元にあるマンガを引っ張りだして見ると分かるが、通常のマンガはそんなに人物の表情を書き分けているわけではない。大抵は記号化された表情にセリフ、コマ割り、擬音、効果線などマンガの技法を組み合わせて表現している場合がほとんどである(これは別にそれが悪いと言っているのではなく、長い年月の間に培った日本マンガの技法だと思う)。
しかし「ヨコハマ・・・」は、連続したコマで人物の表情が微妙に違うことが多い。同じような顔でありながら内面にちょっとした変化があるのがわかるような微妙な変化を描き分けられている。セリフなどの助けなしで、読者は人物が何を考えているのか類推しなければならない。そこに明快な答えがないので、人によって解釈が違ったり、しばらくしてから読むと読後感が変わっていたりすることがある。
また、背景にしてもそれほど緻密に描かれているわけではないのに、得られる情報は豊富で、さらっと読んでいると見逃すことも多い(第10話で岩にミサゴの足跡がついているとか、さり気ない描写が多い)。89話のように「ささげ」の用途を知らないとまったくわけの分からない話もあったりする。
「ヨコハマ・・・」が一方でストーリーがないとか、雰囲気マンガとか揶揄されながらも、何度読んでも飽きがこないのは、この辺りの類推する楽しさがあるからである。これだけ読者を引き込めるということは、相当な才能と言うべきであり、映画で言えば小津やタルコフスキーがやっていたようなことに挑戦していたのでないかと思う。
いつも遠くに見ている印象的な塔を間近に見て(第129話)
前にこのマンガに似たものを思い出せないと書いたが、その後思い出したのがクリフォード・D・シマックの『都市』である。
これは数千年に渡る人類の興亡を一人の執事ロボットの目を通して描いた小説である。興亡といっても描かれるのは主に執事ロボットのいる一族によるミニマムな話である。何世代にもわたって人間を見守るロボットの描写、都市が衰退し人がどんどんいなくなっていく描写がどこか切なくうら寂しい感じで『ヨコハマ・・・』の無常観とよく似ている。また、衰退する人類に代わって進化した犬族が文明の担い手となって行くのだが、このあたりも『ヨコハマ・・・』での「人間がロボットを作った理由」と繋がっていく気がする。
シマックは『中継ステーション』で人類の存亡にかかわる事件がアメリカの農村で展開するという、ほのぼの田舎SFと書いており、『ヨコハマ・・・」との共通点を見出せる。
- 作者: クリフォード D.シマック,林克己
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1976/09
- メディア: 文庫
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