『インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国』(ネタバレ)

いい映画を観ると、「面白かった」「感動した」「泣いた」とか短い言葉を発するのみで、そのあとの言葉が続かないということが往々にしてあるものだが、これがつまらない映画だと、延々を言葉が出てきて語り明かしてしまうことになるから不思議である。

インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国』はひどい映画だった。このシリーズの熱心なファンと言うわけではなく、そもそもそんなに大した作品ではないとは思うが、それでもスピルバーグファンとして公開時には映画館へ駆けつけてきた。しかし19年も待たせてこれかよ、という失望感が沸々と沸きあがっていく。題名も「失われた聖櫃」「魔宮の伝説」「最後の聖戦」ととりあえず威厳を感じさせる副題をつけてきたが、そこへきて「クリスタルスカル」となんとも軽い。せめて「水晶髑髏の謎」とか付けられなかったのか。題材にしても「聖櫃」「聖杯」と古代の謎のトップレベルを扱ってきたのに水晶髑髏はあまりにも弱い、知名度も低い、知っているのはムー民くらいだろう。
この肝心の水晶髑髏なのだが、これまた週一の東映TV特撮に出て来そうな安っぽいシロモノで、威厳や聖性をまったく感じない。いかにもアクリル樹脂で作った軽そうなもので、実際、役者は皆軽そうに持っている。たとえハリボテでも俳優の迫真の演技次第ではものすごい威厳を具えているように見えるものだが、誰も「重い」という演技をしないのには驚いた。この件一つで、この映画はダメだと確信してしまった。監督はやる気があるのだろうか。後で色々見聞きしたところによると、この19年間ジョージ・ルーカスと内容のことで相当揉めたそうで、訳のわからない妄想を押し付けられた監督は気の毒だとは思うが、出来た映画がひどいことには変わりが無い。
制作費が切り詰められていたのだろうか、移動範囲もアメリカ、南米と狭く、セットもゴージャス感も広がりも感じられない。さらに失望に輪をかけるのが、どうやらスタッフはアステカ文明アンデス文明の区別がついていないらしいことだ。今やグーグルアースで誰もが気軽にナスカの地上絵を鑑賞できる時代に、あのナスカはないだろうと思う。地上絵のそばに熱帯雨林に覆われた遺跡があるなどと誰が納得するだろうか。この遺跡(狭い上にアトラクションが不発)の途中でグラグラ揺れる石版の上に乗っかるシーンがあるのだが、この石版がなぜかアステカ文明の有名な「暦石」*1で、なぜ南米に中米のものがあるのだろう?と考え込んだ。
また、出てくる「原住民」が生活感のないロボットみたいな存在だった。以前にも原住民らしき人びとは出てきたが、もう少しましな描き方だった。ロボットみたいというより、ただ単に適当に描いてるだけなのだろう。

確かにこのシリーズは荒唐無稽なものを題材にしてきたが、最低限度のリアリティを出すためにそれなりの説明やディーテイルの描写はキチンと描いてきた。今回のはそうしたことすら放棄しているように思える。

ひどい箇所を指摘するとキリが無いので、次回はもう少しマシなところを見てきます。