『影武者』「まちえい」で観る。

わたしは『影武者』の製作時の騒動、やっと公開、そして公開後のバッシングなどの社会情勢をリアルタイムで見ていた。キネマ旬報、ピア、シティロードなどの書評をいろいろ読み比べたものだが、ひとつとして絶賛したものはなかったと記憶している。当時老境の評論家が若い連中と差別化を図りたいために、取りあえず擁護していた、という程度だった。あんまり不評だったのでわたしはビビって映画館に行かなかった。見た人に当たると、やはり良い話は聞かれなかった。もっともマスコミは「世界の黒澤」と絶賛のオン・パレードだった。あの時のマスコミと一般視聴者との温度差というのは、今考えてもちょっよ異常なものであった。
その後何年かしてどんなものなのか、恐る恐るTVで観た。正直なんだか良く分からない映画だった。とにかく人間が小さい(顔のアップがない)ので誰が誰やらわからない。残念ながら不評はもっともだと思った。セリフは何言ってるのか分からない。そのころ黒澤監督の仕事ぶりを撮影した番組もあって(メイキングみたいなやつ)、その番組で今でも印象に残っているのが、やたら俳優を怒鳴りつけるるシーンだ。監督はきびしい!映画に対する情熱が桁違いだ、と印象付ける狙いがあったのかもしれないが、反対に異様な印象を受けた。特に影武者のお館様には女人は禁止!といって幹部一同で大笑いするシーンがあるのだが、ここで監督が「大滝ィ!!!」と大声でどなりつけたのには驚いた。どっちが年上だか分からないくらい年長の大滝秀治に対してそこまでどなるかよ。ここでいろいろ小言みたいなことを2,3言って撮りなおしてまたみんなで笑うんだけどまた「大滝ィィ!!!」て。どこがどう違うのか全然分からないし何で大滝さんだけなのかも分からんが、とにかくこのみんなで笑うシーンを何べんも繰り返していた。とにかく黒澤監督は偏執的に怖いおっさんだった。

今回20年ぶりくらいに初めてスクリーンで観たがこのシーン、なんてことないシーンじゃん?あんなにねばった意味が分からん。この時代、黒澤は俳優を全然信用してなかったんだろうなあ、と思う。三船、志村がいたころは・・・とか思いながら監督していたのだろうか。だからアップがないのだ。スクリーンに耐える顔がない、と思ったのだろう。で、どうせろくな演技ができないのだから演技も禁止。素人を公募して話題になった。その結果、徳川家康なんかなんの威厳もないただのデブのおっさんになってしまった。桃井かおり倍賞美津子が出演してたんだとEDを見て初めて気がついた。
でも中途半端なんだよな。演技禁止だったら、ブレッソンの映画みたいにもう前編棒読みでもいいのにそこまで徹底できないので、萩原などほんとに見苦しい演技をしている。いや信玄の息子は本当はあんなだったんだよ、なんてまさか言うまいが、監督は萩原を怒鳴りつけたのか。それどころか素人組はなんか投げやりだったんじゃないかと思われる節がある。孫が影武者に謁見し、しばらくして「ちがう、じじではない。」というシーンなんて思わず笑ってしまったよ。目が定まってないし、体落ち着きないし。影武者をジっと見定めてから言ったセリフとは言えない。ちゃんと子役を怒鳴ったのか?。
野外ロケがひどい。姫路城や熊本城で撮っているのだが、観光地で戦国時代のコスプレをしているようにしか見えない。本当は、自前の城を作りたかったのだろう。自分の頭の中にある映画のテーマを体言するような野田城安土城が作りたかったのだろう。しかしそんな金は無い。苦渋に満ちた黒澤の顔が目に浮かぶ。いっそのこと城の外観は撮らない、と徹底した方が良かったのかもしれない。その方がアートっぽいし。
ラストの長篠の合戦は、当時は倒れた馬ばかり写してあほかと酷評されたが、あれはあれでいいだろうとは思う。これはこの映画中唯一の美点ではないか。兵、馬が敵陣にどんどん突っ込む。鉄砲がババババババンと発砲する。さらに兵馬突っ込む、鉄砲が以下略。特攻である。いっそうのこと、死体の山もなにも映さず、見方陣地の人がどんどん減っていくのを延々を見せつけてくれればよかったのだ。そうすれば金もかからないし、アートぽく見えるし・・・でも黒澤はやるのだ。アートとして撮ってるわけではないから。そして、誰もいなくなった・・・最後に大将の座っていた椅子3つが空しく風に吹きさらされている・・・この映画で数少ない胸にせまるシーンである。
良いシーンはさすが黒澤なのでそうは真似のできないものに仕上がっている。影武者は付き人の前で信玄の真似をする、ただ座ってボーとしている仕草さのだが、それを見て付き人たちは涙ぐむ・・・。影武者と彼らとの間にはいわゆる「奇妙な」友情(連帯意識みたいなもの?)が芽生えていたと思うが、実際のところこの盗賊上がりをどう思っていたのだろう、もっとその内心を知りたくなる。そのことは信廉にも当てはまる。あれは友情ではなかったのか・・・。そこのところも描きたいのかナンなのか、消化不良である。
音楽は池辺晋一郎だが、良くない。死屍累々のシーンにあのラッパはないと思うが。妙に浮いた、軽い感じだ。黒澤はラッパが好きなわけではないと思うが。
この題材はひょっとしたらもっと別の監督が低予算でとったら普通に面白い映画が出来ていたのかもしれない。しかし考えてみると、そんな選択肢はなかった。すべて黒澤のための企画なんだから。役者は降板できても監督は降板できない。ちょっとした地獄であろう。

キネ旬の年度特集では、確か3位に甘んじた(それでも3位までいったのはすごい)。ちなみに2位は『ヒポクラテスたち』(これはちょっとな)、1位は『ツィゴイネルワイゼン』(これは同意)。この順位は、世代交代、価値観の転換という地殻変動をまざまざと映し出している。撮影所以外から現れた人(大森)、撮影所で冷や飯を食わされていた人(鈴木)が、黒澤に躍りかかってきたのである。正に戦国下克上である。いつの間にか黒澤が信玄の立場になってしまったのである。
確かにこの映画の欠点を克服した、その後の『乱』では国内でも評判がよかったが。とにかくあの時の黒澤バッシングの異様さは今で言えば「ブログ炎上」に近いものがあった。これを機会に黒澤を葬り去ろう、という意図があったのではないかとすら思った。いまでこそ偏見なく、若い人もDVDを観て黒澤スゲーと思う人は多かろうが、黒澤がまったく冷遇されていた時代もあったのだということです。その大元も本人が作ってしまっていたというのも確かなんです。
(今ちょっと調べてみたら、『影武者』は2位だった。ごめんなさい、謹んで訂正いたします。3位が『ヒポクラテスたち』というのも今考えるとすごいな。)