『グエムル 漢江の怪物』

感想を一言で言うと
「さすがジュノ!俺たち(日本人)ができないことを平然とやってのける!そこにしびれるあこがれるぅ!」ということであろうか。
普通、韓国映画と言えば、その軍隊である。実際、スパイ、陰謀もの、戦争ものではその兵器描写で、さすが隣国と休戦中の国だとおもわせるものがあった。怪獣となればいやがうえにも期待は高まる。
しかし日本の怪獣オタの期待は次々とはぐらかされる。
殺人の追憶』を観ているので、この監督が一筋縄ではいかないことは分かっているが、初めて見る人は相当戸惑うことが予想される。
冒頭からおかしい。雨、橋から男が身を投げようとしてる。しかし男は下の川面に何かを見てしまう。止めようとしている部下(?)に「お前・・・あれを見たか?」言うとそのまま身を投げてしまう!普通こういうエピソードって自殺する奴が怪獣を見てびっくりして自殺するどころじゃねーてな感じで逃げ出すとかそういうパターンじゃないの?シャレにならないじゃん。というか観ているとこれがこの映画流のシャレであることが分かってくる。
主人公カンドゥは黄色い頭の、愚鈍な大男である。かつて凄腕の工作員だったのが今は観光地の売店に身をやつしている・・・とはどう見ても思えない。娘ヒョンソは父よりはしっかりしてそうだが、昼間から缶ビールを飲んでる。
この漢江は正直何が目玉なのかよくわからないのだが、大勢の人が河川敷で飲み食いしている。花見でもなさそうだし。水がなんかすごく汚いんですが・・・一昔前の都内の川(自分のテリトリーだと丸子橋あたりの多摩川)を思い起こさせる。
人々が何気にあれはなんだ?と言う。橋に何かぶら下がっている。この辺の未知の物に対する人々の反応がものすごく自然で、リアルである。野次馬が川に缶を次々と投げ入れるところで、ここからガーンと怪獣が、『ジョーズ』の鮫みたいに飛び出すのかと思うがそうではない。これがまた監督のひねくれ根性、それでいて妙にリアルなところだ。
マンガ『寄生獣』で頭部が崩れている人を見て「何かをかぶっている」と思って平気で話しかけるシーンがあるが、人間、自分の理解できる範囲で現実を解釈してしまうものなのだろう。
集団葬儀に次男ナミルが来る。彼はスーツを着ていてインテリ風なので、お、こいつが軍か特務機関所属なのか、と思うとそうではなく大学出の就職浪人なのだ。なまじ大学を出てるので理屈っぽく文句が多い。次に長女ナムジュがくる。彼女はすでにTVでアーチェリー選手権に思わせぶりに登場していたので、こいつがキーマンなのかと思うが、結局彼女の性格というのは最後まで明確ではなく、だいたいフィクションなのだから金でも銀でもいいはずなのに、銅メダルというのがいかにも中途半端で、もうこの家族が正真正銘のダメ一家であることが明らかになる。葬儀場で一家でのた打ち回って悲しみを表現(いわゆる哀号)するシーンは見もの。シニカルに描かれているので、若い世代からみても異様に映るのだろうか。
病院から脱走するとき、ナムジュだけ乗り遅れるのだが、ハリウッド映画だったらこれが一つの見せ場になるはずなのに、ただノコノコ歩いているだけ、というのには笑った(場内誰も笑ってなかったようだが)。
食料倉庫にて、祖父はおもむろに子供たちを諭す。「・・・お前たち、カンドゥを馬鹿だと思ってるのか?」一同「ウン」と頷く。「あいつはな、子供のころはすごく頭が良かった・・・」あ、やっぱり秘密があったのか。特務機関(こればっかり)で秘密の特訓を受けていたのが、あまりにやばい能力を恐れて軍が洗脳して封印しちゃったとか・・・いやがうえにも期待は高まるのだが・・・
(つづく)