『ミュンヘン』

ミュンヘン スペシャル・エディション [DVD]
駆け込みで劇場で観る。町田にある「まちえい」というこじんまりとした映画館。11月には黒澤明特集もやる。
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ミュンヘン』はすごい映画。『ジュラシック・パーク』以来の文句なしの傑作。これまでスピルバーグのシリアスものはあまり評価しなかった。スピルバーグの落ち着きの無い、躁病的な演出がテーマとそぐわないことが多かった。演出に無駄がある割にはテーマを消化しきれていないという苛立ちがあった。
今回の『ミュンヘン』は、どうでもいいサプライズ演出も影を潜め、カメラの動きも少なく大人し目、それでいて残虐描写はきっちり描くのだが、その残虐描写がきちんとテーマを物語っており、無駄がないと感じた。スピルバーグも60になってやっと円熟の境地に達したということか。
例によって、スピルバーグは先の読める話を、串団子のように1個1個順繰りに見せていく。人が人を殺すシーンを延々と積み重ねる。こんな演出では退屈なはずだが、スクリーンから目が離せない。ひょっとして自分は何かの刑罰を受けているのではないか?と錯覚する。『時計仕掛けのオレンジ』のように残虐シーンを強制的に見せられているのではないか?しかしスクリーンから目が離せない。恐ろしいことである。

この映画は、イラク戦争の忠実なパロディでもある。オリンピックの事件を9・11事件に見立てると、その後のイスラエルの決断、命令されたアヴナー達の行動はそのままアメリカの動向とその後の運命とシンクロする。見ている間はそんなことを考えているひまは無いが、後で思い出すとその大胆さに驚く。
70年代、深作欣二は『仁義なき戦い』でヤクザ世界を政治と国際情勢の暗喩として描き、サム・ペキンパーは『戦争のはらわた』で第二次世界大戦を通してその実ベトナム戦争を描いたが、スピルバーグは別のアプローチとして、個人で行う最小単位の戦争を描いた。個人レベルで描くことによって、戦争の本質を暴くという試みである。

ここに至って、スピルバーグが封印してきたアメリカン・ニューシネマの血が騒いだのか、あの混沌とした70年代がCGの衣を纏って蘇ったかのようだ。70年代のネタはあまりに表立って出てこないが、歌とかポスターのさり気ない引用が結構楽しい。ラジオチャンネル争いで一瞬『日曜はダメよ』の曲も出てくる。この映画はレッドパージアメリカを追われたジュールズ・ダッシンギリシャで撮った、アメリカの文化侵略を皮肉った艶笑映画。