『日本沈没』を観る

前評判が悪かったので覚悟していたのだが、観ている間そんなにひどいとも思えず、むしろ演出うまくなったなあとすら感じていた。のだが、3分の2くらい過ぎたところで、ええ!?の連続で驚愕と脱力のうちに終わる。
特●が悪いと言うのではない(あ、いやフィクション上の話でね)。あれでは説得力ないだろう。評判が悪いのも納得してしまった。そこ以外はおおむね印象は悪くなかった。
まるっきり善良な小市民のくさなぎ君も含めて俳優はみなよくやっている。大地真央は前回の丹波哲郎の役どころなので、もう少しカリスマ性がほしい。途中で逃げ出す大臣とかぶん殴るくらいの迫力があっても良かった。庶民代表で居酒屋の常連客など視点を複数にしたのはよい事だと思う。その一方でこの時代不思議な話だが、海外へ行って汗をかいて交渉するシーンはなく、海外の反応はTVだけで、何か内向的な、奇妙な閉塞感がある。
後で気がついたが、この映画には「国連」というものが全然出てこない。60年代くらいまでは日本のSF映画には国連が出てきてみんなで協力しましょうとか一席ぶつシーンがよくあった。日本の国連好きは退潮し、よく言えば自助努力、悪く言えば周りの国はみんな信用できないから俺たちだけでやるよみたいなヤケクソ感が感じられる。
前作になかった描写を努めて描いているのは好感がもてる。一言で言えば難民だ。災害よりむしろ難民を描いている。そのため俯瞰で描く災害のシーンはぶつ切りであり、ほとんど印象に残らない。難民が足柄峠(?)で山崩れで立ち往生するシーンは心底ゾっとした。集中豪雨+地震があれば、実際ああいうことはあり得るからだ。「庶民の立場から見た災害」の方がより恐怖を生み、映画としては王道のはずであるが、徹底的に抽象的な思考で大上段に構えた前作に比べると妙に小さくまとまって見えてしまうのは、不思議な感覚であり皮肉な話である。
前作や原作の台詞をちょこちょこ出すのはやってる方は面白いんだろうが、やりすぎなのでは。そんな中で「つばめ」の話を出したのはちょっと意表を突かれた。
富野由悠季氏の格好がはまりすぎていてワロタ。多分、国民より優先的に国宝を海外に売却して移転することはあり得るだろう(原作にもあったような?)。文化遺産の保存と資金源の調達である。

率直に言って、大猿をNYに運ぶ映画が3時間もあって、日本が沈没する映画が2時間ちょっとというのはいかがなものか。大人の事情というものもあるだろうが・・・