思えばあの時・・・

http://www.sankei.co.jp/news/050913/morning/column.htm

産経新聞DQN新聞だと思っていたが、うまいことを書いてある。まったくその通り、今回自民党を大勝に導いた小選挙区制を推進したのは、他でもない、当時新生党の小沢氏だった。
あの時・・・発端は「リクルート事件」だった。88年、江副(えぞえ)リクルート会長が、値上がりすることが約束されているいわゆるコスモス株を代議士にばらまいていたことが発覚し、一大疑獄事件に発展した。当初、舞台となった川崎市は革新市制で、自民党はここぞとばかり突いたが、なんと自民側にも受け取った者が続出し(笑)、まあとにかく大変なことになり、結果、竹下内閣はつぶれた。そして混迷の政局が幕を開いた。時にJRが国鉄時代の国有地を大放出、地価は高騰し、電電公社は民営化し、NTT株がこれまた一大ブームとなり、一般の主婦まで株を買い始めるいわゆるバブル時代真っ只中であった。
良識のタガが外れた不愉快な時代であった。日本映画は壊滅寸前で、愚作を連発していた。有望な人材は北野武宮崎駿押井守くらいであった。
こうした政界の腐敗に対する内外の批判を受けて、海部自民党内閣は「政治改革をやります!」と連呼した。どんな改革をするのだろうと国民は期待したが、連呼するうちにいつの間にか、政治改革=小選挙区制・比例代表制をやること、にすり替わっていった。私を含め、多くのマスコミ、知識人も「なんで今、小選挙区なんだ。他にやるべきことがあるだろう」と、おかしいと言ってたと思う。このとき既に小選挙区の問題点、多数者に有利、死に票が多数出る、少数意見は抹殺される、などが指摘されていた。しかしながら、アメリカのような二大政党制が民主主義の理想(今、その内情は相当あやしいものになっている)だの民意が反映されやすいだのなんだのと世論は誘導され、結局94年、細川日本新党内閣で「小選挙区比例代表制並立制」は承認され、96年の衆議院選挙で実施されたと記憶している(ここまでなんの資料も見ずに書いているので、仔細は適当に検索してください)。この辺の「すり替わり」現象は今回の「郵政民営化がすべての改革とつながる!」となんとなく似ていた。細川首相の影で導入を推進していたのが小沢氏であったのは衆目の一致するところ。
小沢氏の誤算だったのかなんだか分からないが、この十年で情勢はすっかり変わり、小選挙区制のうまみをそっくり戴いたのは自民党の方だった。まったく皮肉としかいいようがない。
純粋に得票数率でいえば、自民党47%、民主党36%くらいなのだが、実際に獲得した議席数(比例)は自民219、民主52ということである。