文系だが・・・高松塚古墳壁画解体決定に思う。


理系に対する文系の敗北・・・ということなのだろうと思う。壁画は古墳とともにあって初めて意味があるのではないか、とか文化庁の怠慢を今更指摘してもしようがない。いくら文化財の理念を訴えても、現実に微生物の生育、湿度、石の崩壊などの科学的データを突きつけられてあと○時間で崩壊しますと宣言されれば、グウの音も出ない。考古学者たちは反論できなかった。もうこうなったら、解体して保存するしかないのであろう。
文系はいざというときに何の役にも立たんな、と思うときがある。しかしどうだろう、手塚治虫という人がいなかったら、日本でこれだけロボット技術が発展することもなかっただろう。『ブラックジャック』を読んで医者になりました、と言う人も多いだろう。『スタートレック』を見てNASAに入りましたという人もいる。アニメに登場するメカのデザインに似せた自動車とかバイクとかが発表されたりする。実際には文系の人が思うがままに想像したものが科学技術の発展の土台を築いているのではないかと思う(無論最初は散々馬鹿にされるわけだが)。

だがこのような文系の努力は数値では推し量れない。多分そんなことなんじゃないかな、というレベルかもしれない。今回の決断も科学的にはOKだが、それは飽くまでただの「物体」としてのデータであり、超重要壁画としては日本人に及ぼす心理的な影響まではわからない。古墳を破壊して石を取り出し、厳密な環境の下でどこかに保管する・・・ということで、日本人の心に何らかの傷が生じ、それが将来重要な社会的禍根を呼び起こすかもしれないが、そんなこと科学的に探知することもできまい。その辺を考察するのも文系の役割なんだけど、まあ見通し暗いな。

「何もせんほうがええ。」(『日本沈没』より)と言った学者はいなかったのかな。