『ミトン』『レター』『ママ』

またソ連映画の話。
『ミトン』(67年)
は泣ける。赤いワンちゃんが登場するところでもう涙が出る。なぜだろう?頭の中で理性の声が聞こえる。「あれは少女の妄想。犬を飼えない寂しさから手袋が犬に見えただけ。」まあ、そうなのだろう。そうでなければラストシーンの説明がつかない。母親の目には少女がナデナデしているものは手袋にしか見えなかった。
自分にしか見えない大切なモノ・・・確かにあの頃、私にもそんなものがあったような気がする。まあたとえば座布団を二つくっつけて「ペスター!」とかやったな。いや、それはちょっと違うな。
空想することの大切さとはかなさ、はかなさゆえに涙が出るのか。いや、はかないからこその力強さというか、そういうことを訴えたかったのだろうと思う。実際、少女の行為が母親の冷たい心を変えたのである。鉄腕アトムガンダムを見て、あんなロボットができたらいいなーとボケーと考えてきた子供たちが日本を世界に冠たるロボット先進国にしたのである。
赤い犬が妄想だったのか、現実にいたのかはどちらともとれる描き方をしている。名犬コンテスト自体が幻想だったともとれる(ここで赤い犬がやはり毛糸でできている、無生物だったことが発覚してしまう)が、その前のシーンでの赤い犬が他の犬に吼えてかかるシーンは、現実と地続きのように見える。この辺の演出は上映時間たった10分ながら実に知的かつ挑戦的であり、空想と現実をあえて撹乱させているかのようだ。
『レター』(70年)
この3作品はともに母子の愛情を描いているが、同時に、先に述べたように空想と現実の撹乱がテーマでもある。
『レター』では、海軍軍人である夫の不在を心配して情緒不安定になった母親を、息子が救う話。母親が帰ってこない、どこにいるか分からない。息子が父の軍帽をかぶるとどうだろう、ベランダが船となり空とぶ船となる。これを道行く人々、アパートの住民が皆見上げる。息子の脳内幻想だったのかもしれないが、その行動が母を救ったのは事実として語られる。
郵便屋さんのキャラクターがいい。特に家の前で子供が待っているのを見て(子供が期待している手紙がないための罪悪感から)思わず後ずさりしてしまうシーンは迫真の演技。
『ママ』(72年)
今回は空想の主体は母親、しかもその空想はあってはならない危険なもの。ここに至ってブラックユーモアの域に達している。ソ連名物の行列のできるスーパーで並びながら、留守中の息子が気になって、あらぬ妄想が次々と浮かぶ。強盗、危険物、窓から落下・・・。
演出はさらに円熟といおうか、底意地が悪く(?)なっている。あれは妄想だったのか現実にあったことなのか、ラストの部屋の状況をよくみると分かるようになっている。明らかに観客の知性に挑んでいる作りである。
スーパーの店員(白衣を着て学者みたいな雰囲気)がいい。特に脚立で高いところに登るシーンが笑える。