震災公園→『イノセンス』

Joetip2004-03-10


今日は休みなので「イノセンス」を見に行こうかと思ったら、ふと今日が3月10日ということに気がつき、この間大江戸博物館へ行ってきて、ちょっと東東京づいてきたので、震災慰霊堂へ行く事にした。
子供のころは、母の実家が江戸川にあることもあって、秋葉原より東に行くことが多かった。そのころはまだ路面電車は健在で、『人狼』のような風景がまだ生きていた。両国、木場、墨田川七福神・・・なかなか思い出せないがまあそんなところだ。大江戸博物館のデザインは気に入らず、完全に景観を損ねている(所詮バブル期の建築などこの程度)。しかし近くの安田庭園と両国公会堂*1はまだあったので心底ホっとした。円形の公会堂が池にその姿を映して佇む、その様は正に凍れる音楽、屹立する詩(誉め過ぎ?)。
震災公園も小学生の頃、母に連れられて何度か行った。なぜなら母も東京大空襲の被災者だったからだ。震災公園は露店も出ていてこの時ばかりは人出が多かった。伊藤忠太設計の震災慰霊*2はものすごい骨太の巨大建築で公園の入り口からでもその全容が掴みにくい。その堂内はこれまた想像以上の広さ、特に天井の高さ目を見張る。椅子の配置はちょっと教会のようである。内部にもアジア的装飾が施されており、注目は入り口の上部にある、点灯するランプを口にくわえている魔物であろう。
公園内には他に震災復興記念館*3があり、こちらも伊藤忠太設計。入り口上部にはやはり魔物が配置されている。子供のころ、この建築が異様に怖かった。水木しげるのマンガに出てきそう(実際にモデルにしてかも知れない)な雰囲気で、当時は色も煤けて廃屋というか崩壊寸前、という印象があった。今見るとかなり身奇麗になったようで、やはり異様だった空襲時の溶けた機械の展示も、おしゃれな屋外アートみたいになっていた。

空襲後の空撮写真を見ると、都心の方はいくつか建物が残っていたようだが、母の話によると、本所、深川の方は全く何も残っていなかったという。それは白と青の世界だった。地面は見渡す限り炭一つ残らず真っ白な灰になってしまった。空は真っ青だった。そしてその白い世界に黒い点があちこちに付いていたのでよっく見てみるとそれは金庫だった。何もかも灰(人間含む。遺骨を特定することなど無論不可能)になって金庫を持ってた家はそれだけが残ったのだった。金庫の上に子供が2,3人腰掛けて何日もいるのを見たが、あの子たちはどうなったのだろう、と母は述懐する。

帰りに『イノセンス』を観てきたが、悪人の屋敷(バドー一行が心理攻撃を受ける屋敷)のデザインがちょっと伊藤忠太っぽく見えたのが面白かった。震災復興館の窓の意匠が似ている。
(写真はアートではなく、東京水産大学の焼け跡から発見された溶けた水雷。後ろは復興記念館。)