SFマンガの傑作『ヨコハマ買い出し紀行』(1994〜2006)

新装版もはや8巻目かー。旧版持ってますが毎月買ってます。
知っている人がほとんどだと思いますが、このマンガによく冠せられる「癒し系」とか「ほのぼの」という言葉に恐れをなして読まず嫌いの人もいるかもしれないので、少しでも多くの人に読んで頂きたくここに紹介しておきます。

主人公の初瀬野アルファさん(一見20代前半の女性、スレンダーな体形で顔はぷっくりしている)は三浦半島西側の岬(『黒崎の鼻』が有力候補)の突端に「カフェ・アルファ」というコーヒーショップを営んでいる。この流行らない喫茶店に出入りするお客のおじさんや子供たちとのふれあいを通じて描く人生泣き笑い・・・と言うと小学館系のマンガによくある展開に見える。しかし舞台は今から数十年後、世界規模の大災害によって海水面が上昇し、人口は極端に減少し、都市は廃墟と化し・・・つまり人類が滅亡に瀕している世界なのだった。
しかもアルファさんは実は人間ではない、ロボットなのだった。このマンガ世界にアンドロイドという言葉はなく、飽くまでロボットという言葉で通す。これは作者のうまい戦略である。アンドロイドと言ってしまうと、人間そっくりでも当たり前に感じてしまう。人間と人間でないものとの境界を絶えず意識させるためにロボットという名称は必要だった。しかし、『鉄腕アトム』に見られる人間対ロボットとの対立、差別といった問題はこのマンガでは見られない。ロボットたちは「ロボットの人」(ロボットの方とかロボットのコという言い方もある)として人間として認知されており、人間と共に普通に労働し生活している。
ロボットが普通に生活していると言ったが、このロボットたちはこれと言って突出した能力があるわけではない。怪力とか高速演算能力とか光学迷彩とか、そんなものはない。ただ単に人間と同じ、というだけなのである。莫大なコスト(しかも文明は崩壊しつつあるのに)をかけてなぜそんなものを大量に製造したのか理解に苦しむが、物語はそのことに明快な答えを与えない。



道の記憶 人が忘れてしまっても(第71話)


そもそもなぜ世界がこうなったのか、まったく説明はない。関東周辺の特徴を挙げると
1.海抜が12m上昇している、現在も上昇中。なぜ12mなのかは読んでいると分かる。
2.人口の激減。現在の郊外のベッドタウンは土台を残すのみで壊滅。数少ない人々はかつての主要都市に周辺に集まって生活している。私が住んでいる周辺、横浜市北西部、厚木、相模原方面は鬱蒼とした森林が広がっている。
3.老人が多く子供は少ない。30〜50代の働き盛りの人々はほとんど見られない。これについては三浦半島などの田舎から横浜など都市部へ出稼ぎにいっているためかもしれない。
4.自動車はほとんどなく、自転車、バイク、古い軽自動車が中心。電車ももちろんないが、等々力、保土ヶ谷間を路面電車が通っている。ガソリンも少ないながら供給されている。
5.富士山の頂上が欠けており、国道413号線(上の写真)は巨岩で埋まっている。
6.日本という国家はなくなり、各都道府県が独立して国を作っている。江戸時代の藩みたいなものか?また、行政組織もまったく見られない。特に警察、教育機関は皆無。教育は近所の大人が座学で子供に教えている。
7.にもかかわらず、電気、ガス、水道、下水などの最低限のインフラは生きており、三浦半島に限って言えばすべて無料で使用しているらしい。TVはないがラジオ放送局はある。電話はほとんど見られず、郵便が主要な伝達手段。「浜松ウェザーアタック」というかっこいい名前の民間気象予報機関がある。

このような世界で人々はさぞ悲惨な生活をしているのだろう、と思うと実はそうでもない。こと三浦半島について言えば、人々は畑を作ったり、漁業をしたりして暮らしており、前述の通りインフラはタダなので贅沢しなければ結構普通に暮らせるのである。登場人物はアクセク労働している描写はなく、主人公のアルファさんからして店にお客がほとんど来ないので日中は大抵居眠りしている。アルファさんを含め、人々が寝ている描写(ベッドで就寝から、うたた寝、地面でゴロ寝まで)が異様に多い。ゲゲゲの鬼太郎じゃないが、試験も学校もブラック企業サービス残業もない、理想の社会が生まれたのである(そういえば水木しげるのマンガも寝てるシーンが多い)。バブル崩壊後の世相の中、この世界観に憧れる人が多かったのか、90年代後半このマンガは大ヒット(だよな?)した。が、忘れてはならないのが、そうは言ってもこの世界は人類が滅亡しかかっているということだ。
破滅の直前に現出した儚いユートピアなのである。
私は人類滅亡直前の世界をこのように明るくほのぼの描いたSFを他に知らない。イギリスSFが得意そうだけどどうも思い出せない。あってももっとシニカルな味付けになると思う。強いてあげれば『渚にて』のオーストラリアの描写が近い。見方に拠れば、滅亡を肯定しているとも受け取れ、危険な発想というか、(こんな表現をこのマンガに使う人はあまりいないと思うが)退廃的とすら言える。
作者の芦奈野ひとし氏は、世界的に見ても空前絶後のユニークなマンガを創造したのである。

(この項続く)