『地球爆破作戦』

諸君は自由を失うというだろうが、自由などというものはまぼろしに過ぎない。だから諸君が失うのはまぼろしだけなのだ。


この間NHKBSで放送されていた「ルパン三世特集」とか、「スカイ・クロラ」のこととか、色々書きたいことはあるのだが、ひとつこのことは先に報告しておきたい。
公開以来長らく幻の映画となっていた「地球爆破作戦」(1970年アメリカ)がついにDVD化されました。
いい加減な邦題が示す通り、スプラッシュ公開だったようである(原題は『フォービン・プロジェクト』)が、そこ後ビデオ化されないこともあってカルト化していった。SF映画評論の草分け的存在である石上三登志氏が大絶賛したことでも有名である。実際優れた作品で、特に前半の主に室内が中心のシーンの無駄の無い緊迫した演出は見事なもので、何度見ても引き込まれる。むしろ低予算、短期間製作が功を奏したのかもしれない。
冷戦時代、アメリカ政府は国防業務をスーパーコンピューターに管理させることを決定する。開発責任者であるフォービン博士は「コロッサス」を完成させる。メインシステムは難攻不落のロッキー山脈の地下に建造され、万が一攻撃されたり回路が故障したりしても自己回復能力があり、自分で治してしまうという優れものである。フォービン博士「つまりどんなことをしても人間の手で壊すことは出来ない。」
ケネディ似の大統領「与えられた情報を駆使して敵の攻撃を事前に察知し・・・ただちに適切な兵器(核兵器含む)を選び先制攻撃を加える。機械だから感情を持たず、恐れや憎しみとも無縁だ。一時の感情に左右されずただ脅威にのみ反応する。」
「さて世界の皆さん、我々はコロッサスを得たが使いこなすのは人間だ。今こそ地球上の全人類が手を握り、心を合わせ戦争や飢餓や災厄の根絶にエネルギーを結集し、真に人類の黄金時代を目指そうではありませんか。そのためには何より平和が大切です。」このセリフが後々皮肉な意味で繰り返されることになる。
という大統領の宣言ではじまったホワイトハウスでのコロッサス落成式であるが、コロッサスの第一声は思いもよらぬものだった。
「ホカニモオナジシステム、アリ」
その後、ソ連にも同じスーパーコンピューター「ガーディアン」(TVで見た時は同じ名前の新聞のことは知らなかった)の存在が発覚。コロッサスはガーディアンとの交信を「要求」し始める。最初は軽く考えていた科学者たちだが、これが人類にとっての悲劇の始まりだった・・・

コロッサスがガーディアンと交信するために回線を探しまくるシーンがあるのだが、ここが見所の一つである。作戦司令室の巨大な世界地図のディスプレイに電話回線の経路が光る線で示される。通じる回線を求めて光線が世界を廻る。最近の映画ではよくあるシーンだが、38年前となると相当先進的だったのではないか。
コロッサスとガーディアンが交信し始める(両方の端末が並べて設置される)と、掛け算の九九という初歩的な数式から数学的な情報の交換が始まる。映画は相手を捜し求め、会話する米ソのコンピューターの交信を「恋愛」として捉えているのは明らかだ。双方の機能が完全にシンクロしたとき、開発した人類すら超越する新たな知性体が誕生する!・・・のか?

今まで72,3年の作品だと思っていたのだが、70年だということに驚く。『アンドロメダ・・・』の前だったということで先駆的作品と言って良いのではないでしょうか。『博士の異常な愛情』的ポリティカル・フィクションの要素もあり、当時流行ったスパイ映画的雰囲気もある。

吹き替えはフォービンが山田康雄、大統領が納谷悟朗で、奇しくも翌年放送されることになる「ルパン三世」コンビ。
当時、コンピューター関係者以外知らなかったであろう「ロード」「CPU」「バッファ」なんて用語が何の注釈もなしに使われている。コロッサスに話しかけるときにまず「アテンション」と言うのだが、そういうものなのか?
TVで観ていた時、「電源切ればいいんじゃね?」と思ったものだが、その策は終ぞ聞かれなかった。原作にはその説明があったと思うが、忘れた。