『スキャナー・ダークリー』

は、フィリップ・K・ディックの小説『暗闇のスキャナー』の映画化作品。ファシスト警察国家に成り下がったアメリカで、麻薬捜査官ボブ・アークターの家に出入りしている無職同然で麻薬中毒の仲良し4人組がそれぞれ悲惨な運命を辿る、というむごく哀しい話である。
ジョー・チップなどというHNを名乗っている以上、とにかく観る。原作と比べればもちろん見劣りがするが、誠実に作られていることはよく分かった。言うまでもないが、これまでの映画の中では最もディック原作に忠実である。それでも駆け足でエピソードをつぎ込んでいる印象なので、もっと2時間半くらいでもいいからじっくり描いて欲しかった。もっともあんな映像(ロトスコープ)を2時間以上見続けていると確かに目が悪くなりそうだが。
実写ではなくロトスコープにした最大の理由はSF的アイテム「スクランブルスーツ」の存在に説得力を持たせるためだろう。これは原作を読んでもいまひとつ実際どんなものなのかイメージが沸きにくい。CG隆盛の世とはいえ、実写であれをやったらかなり違和感があるだろう。アニメ化によって存在感が出た上に、テーマ上の効果も充分上げている。
それぞれのエピソードの印象は薄い。私は自転車のギア騒動のシーンが好きなのだが、結構愉快なエピソードいった感じであっさり終わる。この自転車のギアが何段変則なのか、ギアの数からちょっと考えれば誰でも分かることが彼らには(頭をやられているので)中々思いつかない。まさしく不毛な議論をヤク中の仲間たちが延々とするのであるが、このへんをしつこくやらないと中毒の怖さが伝わらないのではないか。
また、バリスがスクエアな人々に対する偏見を語るシーンも削られていた。「彼女スクエアだった。あの女、決してヤクはやらなかったし、かなり金を持っていた。・・・金持ちは生命の価値が分からないんだ。どうも別の考え方をするんだ。・・・・あの女、アメリカヨタカを俺たちに殺してもらおうと、やってきたんでは?それで俺たちいろいろ言ったんだが・・・・」蚊を食べて役に立つ無害な動物であると説明すると、彼女はこういった。

その言葉たるや、彼らにとって恐ろしい、軽蔑すべきパロディ風な邪悪な壁に掲げる金言といったものになったのである。(飯田隆昭訳)
               無害だとわかっていても
             私殺したいのよ

ジャンキーは時たま、動物に対して優しい・・・むしろ冷酷なのはセレブな人たち、ということを主人公(多分筆者)はその後語る。裕福なところのガキがこういうことを言うのはありそうなことだね。
また、自動車の中で、ボロボロになったボブにドナが神を見たというあるジャンキーの話をする悲しいシーンもなかった。

というわけである意味不満だらけなのだが、地味で誠実な語り口を俳優の演技と音楽で、とにかく原作リスペクトしてますという思いは伝わっているので、ファンは観て損はないと思います。ラストシーンは私のイメージに近いものがあった。正直泣いた。


ちなみに私が持っているのはサンリオSF文庫のもの(26年前!)だが、中盤から挿入されるストーリーとは関係の無い不気味な文言が、再販された創元推理文庫版では邦訳されていない(ドイツ語?のまま)のだが、なぜなのだろう?創元の方は浅倉久志氏だが、やはり最初に読んだ飯田訳の方に愛着がある。サンリオ版は中西信行氏の絵もいい。海岸(カリフォルニア?)をTシャツに輪郭だけの男が駆けている、一見内容とは関係なさそうで、明るいのになぜかもの悲しさを感じさせる、そんな表紙絵だ。