『天国と地獄』「まちえい」で観る。

『天国と地獄』。言わずと知れた作品で、いまさら言うこともあんまりないのだが、ほとほと感心するのはこれだけ神奈川県をロケに選んで、行政的にもお世話になっているはずなのに、微塵も良く描いていないことだろう。たとえば上京してこれから横浜市に引っ越すという新婚さんがいたとして、横浜ってどんなところなのかなあ・・・横浜を舞台にしした映画ってなあい?と訊かれてすかさずこの映画(ついでに『豚と軍艦』とか)を薦めたとしよう。まず引越しは中止となり、友情にひびが入るだろう。私ですら、これを観終わった後、絶望のあまりすぐさま近くの境川に飛び込んで、乳と蜜の流れる土地、東京(町田)に越境しようという衝動に駆られたくらいである。
特に伊勢崎町あたりの歓楽街の描写はすごい。薄暗い廃屋同然の長屋の通りに幽鬼のようにうろつくヤク中の女ども・・・それが男と見るとズオオ〜と集団で寄って来るんだ。こえ〜よ。19世紀の上海租界、人外魔境だよ。しかも後ろの方ににはバッチリ「黄金町」って看板が見えるし・・・。当時の人はどう思っていたんだろう?とにかく横浜の下町は区画整理という発想すらなさそうで廃墟同然に描かれる。観光地のはずの江ノ島、海岸通りを走る江ノ電もなんとも陰鬱な感じ、海岸に黒く浮かぶ江ノ島は不気味。やはり街が、いや国全体が貧しかったのである。

演出的には、ホントいうと前回の『悪い奴ほど・・・』に比べると重層的な演出は控えられている。話的には単純で、串団子的エピソードの積み重ねがメインである。権藤邸→列車→警察→犯人→権藤・・・しかし子供はすでに帰されているし、トリックも消化済みなので、後半の展開はサスペンスとは言えない。映画はもう終わったも同然で、考えてみると不思議な映画ではある。じゃなんだと言ったら、犯人が捕まるのかどうか、権藤の家庭はどうなるのか、とかだろうか。それだけではいかにも弱い。
しかし映画は後半、手加減なくぐいぐい見せる。神奈川の貧困を、犯人がどこから生まれたのかを、見せる。ここに明確な説明は無い。最後、犯人と権藤が対峙する。犯人がなにか、一席ぶつのかといえばそうではない、ただブルブル震えて、強がりを言う。毎日毎日、貴方の家を眺めていた。それで段々怒りがこみ上げてきた、というようなあまり論理的ではないことをやっと言う。結局言葉にはならず絶叫しする。対する権藤の顔はこちらからは見えない。あげくにシャッターを下ろされ相手の顔すら見えなくなる。凄まじいまでの説明拒否。
昨今なにか異常な事件が起こると識者とか言う人たちが、新聞にコメントを書く(どうでもいいことだが倉田真由美って識者なのか?)。とりあえずその場はまあ納得して仕事に行き、帰って来るころには忘れる。そのこと自体の異常さ。権堂にも犯人にも利いた風なことを言わせなかったのは、双方に対する黒澤の「優しさ」なのだろうか。