『アトミック・カフェ』

20年前に下北沢の鈴なりで観たのだが、再度ユーロスペースで鑑賞する。
以前に紹介した通りの内容ですが、これは50年代のアメリカの核兵器政策と、国民に対して行ったプロバガンダをありのままに映し出した、つまりそのプロバガンダ映像をポンとそのまま放り込んでしまったのだ。いわば晒し者。
そのフィルムをコラージュし、一つの物語を作った。実際のフィルムをつないで、その内容に対するパロディにした、と言ってもいいかもしれない。
広島に原爆を投下する前に、市内の平和な光景を挿入する、という手法は『華氏911』でイラク戦争開戦のシーンで、ムーア監督が同じことをやっている。
これを見て今、慄然としたり、笑ったりできるのは確かに当時よりは情報が豊富となり、客観的な見方ができるからだ。その意味で進歩しているのかもしれない。だが当初から当事者であった日本では、この映画に対する反応はさらに違ったものであろう。いわば現代と50年前のギャップ、日本とアメリカとの認識のギャップを感じ取るだろう。
これほど凄まじい嘘を堂々と聞かされると、現在報道されているニュース、要人の話す内容にしても、疑ってかかってしまうだろう。数十年後、イラク戦争についてこんな映画ができる可能性のあるわけだ。
80年代からアメリカ映画は、核兵器についてかえって無神経になっている。70年代は「ザ・デイ・アフター」という、アメリカ人がはだゲンみたいになる映画もあったが、近年では「トゥルー・ライズ」「ブロークン・アロー」「トータル・フィアーズ」とか平気でポンポン核爆発させる映画が続発。しかも主人公は放射能をものともしないガミラス星人なみの体質の持ち主。どうもあんまり進歩しているとは思えない。これらの映画がかえって冷戦後に多くなっているのは、来るテロ時代に備えて、国民を「啓蒙」し始めたということかもしれない。
クライマックスの、かき集めた映像フィルムを総動員して切り貼りした原爆投下シュミレーションは、圧巻である。

アトミック・カフェ』に登場する「キノコ雲に向かって行進する兵士」映像の裏にはこんな過酷な現実が・・・

http://www5a.biglobe.ne.jp/~t-senoo/Sensou/hibakuhei/sub_hibakuhei.html