NHK特集『神様がくれた時間 岡本喜八と妻 がん告知からの300日』

マスコミがハイエナのように団塊団塊と騒いでいる間に、太平洋戦争体験世代はひっそり消えようとしている。このままでいいのか?


作品は妻みね子さんの述懐と再現ドラマで構成される。監督を本田博太郎、みね子さんを大谷直子が演じる。最初このドラマは通り一遍のものなのかと思ったら、本田、大谷は本格的な迫真の演技で見る者の心を打つ。特に本田は変態か北京原人しかできないのかと思っていたが、完全に岡本監督になりきっており、認識を改めた。

平成16年4月 神奈川県川崎市生田の岡本邸。
監督は映画『幻燈辻馬車』の準備を始めていた。台本、配役もほぼ完成していた。セットの準備が整えば撮影に取り掛かれるはずだった。
しかしその前後から監督は体に変調があった。ようやく検査を受けたその結果は
「食道ガン末期 余命1年。」
かかり付けの医師が自宅に訪問して突然告知。今後の治療方針を相談する。
監督は入院を嫌がる。院内で寝静まった後の静けさに耐えられないとのこと。
みね子さん「いつものようにケンカしたり笑ったりしながら出来るだけ日常に近い生活を送りながら看病できたらいいなと思ってたんで」
「パジャマを着ないことで・・・ひょっとして撮影に行けるんじゃないか?と本人も周りもそういう気分を作ることによってガンと前向きに戦えるんじゃないかと」
以後監督はいつもの皮ジャンと毛糸の帽子&タバコふかしスタイルを貫く。

みね子さんの座右の銘が台所に貼ってある。

人生を愛せよ 
死を思え 
時が来たら 
誇りを持って 
わきへどけ          
     エーリッヒ・ケストナー


岡本邸は広い家だが、高そうなインテリアはなく、普通の一般家庭と大して変わらない。みね子さんは台所で底がボコボコの味覚鍋を洗う。
みね子さんはノートパソコンを操り介護日記をつける。

5月22日 
朝 クロワッサン スクランブルエッグ1個 リンゴ オレンジ ミックスジュース コーヒー まんじゅう2個 タバコ4本
昼 鳥おじや
夜 いなり寿司2個 刺身

みね子さんは昭和12年両国で生まれる。早稲田大学映画研究会に所属し、シナリオライターを目指していた。昭和33年、大学3年のとき、サークルが招いた岡本監督と出会う。
この頃のみね子さんは大谷直子に激似。この会で「映画監督は結婚なんかしないで、色んな女性と付き合うべきだと思うんです。」と議論をふっかける。昭和35年岡本監督と結婚する。

仲代達矢「監督はテレ症で自分の映画でラブシーンがあるとセットから出て行ってしまうような人だった。」
撮影が終わるとスタッフを自宅へ呼んで騒ぐ。多い時で100人を超えたという。貧乏だったが、みね子さんは安上がり「経済鍋」と高級ウイスキーの瓶に安いウイスキーを入れて量を増やし、宴会をさばく。
仲代達矢「1週間に一遍は通ってました。門は開けっ放しで・・・来るものは拒まずというか・・・あっちでは麻雀してたり、こっちでは酒を飲んでいたり、そういうところから巣立っていった人も多いのではないか。」

5月27日
朝 定食
昼 肉うどん
夜 鳥スープ 稲荷すし2個
ただし咳き込みあまり食べられず。

この頃から37度くらいの熱が出る。

体調がいい時は(タバコをふかしながら)『幻燈辻馬車』の脚本を練る。みね子さんと読み合わせとして次々と推敲する。仕事をしないではいられない。ちなみにみね子さんは自宅でも夫のことを「監督」と呼ぶ。
6月、食事が喉を通らないことが多くなる。

監督は肉が大好きだった。スキヤキをミキサーに入れドロドロにする。うまそうにスプーンですする。

7月10日
夕食もほとんど食べず、そのまま一階のソファーで寝る。
7月11日
昼 コンソメとかゆで嘔吐。
夕食は重湯 味噌汁具なし

痰がひどくなる。
「指にテイッシュを巻いて喉に入れて(痰を)引き出すんですよね。・・・そうすると飴みたいに長くて透き通ったものがドンドン出てくる。」 

岡本喜八は大正13年鳥取米子に生まれる。昭和16年明治大学に入学。太平洋戦争が始まった年であった。当時、岡本は自分の寿命を22歳、良くて25歳と考えていた。
昭和18年東宝入社。
昭和20年召集され松戸工兵学校へ入隊する。
愛知県豊橋へ派遣された時、爆撃に会う。

「・・・器材庫ニ入ルト同時ニ爆弾ノ落下音聞コエ、間モナク至近距離デ爆発、瞬時ニシテ一同爆風ニ吹ッ飛ブ。硝煙ガ消エ、オノレヲ取リ戻シテ起キ上ガレバ、タダモウ泥絵ノ具ノ地獄図絵ノ惨状。
「岡本候補生、岡本!」ノ声ニ振リ返ルト、頚動脈ヲ切ラレ、血ノ雨ヲ噴出サセナガラ「止メテクレ!」ト悲痛ニ叫ブ大アグラヲカイタ戦友ガイタ。
同ジ隊カラ先遣隊ニ出テイタ生存者、ワズカニ三名。」

後に太平洋戦争とは何だったのかとの問いに、
「多くの同世代の若者たちが声もなく死んでいった日々」としか答えられない。
                                            (つづく)